2015年10月9日(金)

渋谷プレジャープレジャーで、仲井戸“CHABO”麗市。
「今年はひとりで、ゆったり演ります。当日はリクエストも受けるかもしれないし、カバーもやるかもしれないし、新曲もやるかもしれないし、の、かもしれない 仲井戸“CHABO”麗市 65歳 バースデイライヴ」。

チャボのファンクラブ会員限定ライブに初めて行った。どうして行けたのか。ファンクラブに入ったからだ。
そう、2ヶ月くらい前に僕はチャボのファンクラブに加入したのである。まさか52歳にもなって特定のアーティストのファンクラブというものに入るなんて、まったく思いもしなかった。因みにこれまで生きてきてファンクラブに入ったことがあるのは「サザンオールスターズ応援団」というサザンのそれ1度だけ。サザンが「勝手にシンドバッド」でデビューしたときに衝撃を受けて加入し(そのとき僕は中3だった)、「いとしのエリー」が出た頃にはなんか違うと思ってもうやめてしまったのだが。

なぜいまチャボのファンクラブに入ったのかといえば、ずいぶん長いこと(RCを初めて観てから36年!)“それなりに”観たり聴いたりはしてきたけど、この数年のチャボの精力的な活動を通して自分のなかでの好き度がどんどん増して、どんどん特別な存在になっていったから。いままでは会場が小さくてすぐに売り切れてしまうチャボの公演は諦めるしかなかったのだけど、そういうのも諦めずにちゃんと行きたい(チケットを獲りたい)という気持ちが抑えきれなくなってきたからだ。

正直いままで、小さな会場故にチケットが獲れなかったときなどは、「どーせファンクララブ会員だけで埋まっちゃうんだもんな、フン!」なんて感じでふてくされ気味に諦めていた。それを繰り返してきた。ファンクラブに自分が入るという発想はなかったのだ。が、「そーか、だったら自分がファンクラブに入ればいいのか」と気がついた。きっかけは間もなく本番を迎える古井戸の再会ライブで、これだけは何がなんでも観たかった。何がなんでも観たいが、恐らくキネマ倶楽部のほうは秒速で売り切れるに違いない。どうしたら確実にチケットが獲れるのか。ファンクラブの優先販売なら獲れるだろう。と、そこで僕はファンクラブに入る決心をしたのだ。50を過ぎてファンクラブなんてものに入るなんて……という気持ちも心の片隅にあり、だからいままでそういう決断には至らなかったのだが、気持ちが切り替わった。別に恥ずかしいことじゃない。いままでチケットを獲れずに諦めてきたライブも観れるようになるのだ。だったらいいじゃないか。と。

そんなわけでファンクラブに加入したら、古井戸の再会ライブのチケットも獲ることができたし、今回のバースデイライブにも行くことができた。入ってよかったと、このライブを観たあと強く実感した僕だった。

というわけで、初めて行くことができたプレジャープレジャーでのチャボのライブ。初めて行くことができたチャボのバースデイライブだ。それは思っていた以上にインティメイトなあり方のライブだった。

通常のライブよりもチャボはオープンで、ゴキゲンで、ずいぶんとよく喋っていた。ときに観客の名前を呼んだりもしていた。「(ファンクラブ限定のライブだから)ここにオレを嫌いなひとはいないよね」みたいなことも何度か言ってたけど、そのあたりからも通常のライブより予めオープンで、ある意味においてはリラックス(この言葉が必ずしも正しいかどうかはなんとも言えないけど)してライブを進めているようにも感じられた。目の前の観客たちを信頼しているのだということがよくわかった。
もちろん弾き語りというスタイルの特性もあるだろうけど、それにしても観客との距離感が近かった。自分の家に招き入れて演奏しているような、そんな親密さがあったことに、初めてファンクラブ限定ライブを体感した僕はちょっと驚いていた。

とりわけそれは、その場で観客のリクエストに応えて歌うというコーナーで強く感じることになった。チャボもしばらく歌ってなかったような、なかなかの曲の題名が前のほうの観客の何人かから発せられるのだったが、チャボは「えー、それ?!」みたいな感じで「まいったな」といったニュアンスのことを言いながらも、それでも決して嫌がるわけではなく、「じゃあ、探り探り歌ってみるね」といった感じで歌い出すのだった。
そのリクエストのコーナーで歌われたのは、「ステーションホテル」「Song for you」「賛美歌」「糧」「ランタン」。気軽に歌えるような曲たちではなかっただろうし、まして古井戸の「ステーションホテル」、さらには「賛美歌」なんてのは、(わからないけど)もしかすると古井戸解散後に歌うのは初めてなんじゃないか……というような難曲のはずだが、ほんの少しだけとはいえ、それを聴くことができるなんて驚きだったし、ああ来てよかったと思えたものだ。

またリクエストされて歌った「ランタン」から、初めからセトリに入っていた「コーヒーサイフォン」への流れは、チャボも言ってたけど偶然とはいえ流れを感じさせるもので、ここはとりわけグッときた。

新作『CHABO』の曲もけっこう歌われたし、渋公ではやらなかった新作曲も多めに選ばれていた。前半で歌われた「何かいい事ないかな?子猫ちゃん」でニャアと鳴き真似して猫のように手を動かすチャボはやっぱりとても可愛かった。65歳であれをやってカワイイと思える人が日本でほかにどれだけいるだろうか?

新作からの曲では、アンコールでやった「祝祭」もとてもよかった。この曲はあの賑やかで華やかなバンドアレンジがあってこそのものだと思っていたので、弾き語りでこんなにいいものになるのかというのはちょっとした驚きだった。恐らく65歳という年齢を祝うトーンとあの曲の歌詞の意味がリンクしたことで強く響いてきたのだろう。

3時間はあっという間だった。そして、3時間という決して短くない時間を、弾き語りで少しも飽きさせれることなくやりきれるひとがどれだけいるだろうか、とも僕は思った。
なぜこんなにも引き込まれ、こんなにも胸を揺さぶられながら3時間という時間を集中して観てしまうのだろう…とも僕は考えてみた。
歌がいいから?  ギターがいいから?  楽曲がいいから?  歌詞が響くから?  喋りが楽しいから?  もちろん、そのどれもがいいからではあるのだけど、そのどれかひとつを味わってグッときてるというのとは違う気がするなと、この日のライブを観て特にそう感じた。そういうひとつひとつを観たり聴いたりしているというよりは、僕は(僕たちは)チャボという人間そのものを感じてグッときているのだ。チャボという人間の歌を聴いて思いを聞いて仕草を見て話を聞いて表情を見て考え方に共感して……それをするためにたぶん僕は(僕たちは)会場に足を運んでいるのだ。チャボの曲を聴きに行ってるというよりは、チャボそのものを聴きに…感じに行ってるのだ。そのことが幸せなんだし、そのことで心が豊かになれるのだ。と、前々からなんとなくそんな気はしていたが、改めてそのことがよくわかったのがこのライブだった。

65歳。その年齢をチャボはしっかりと受け入れ、受け入れことができてる自分をきっと嬉しく思いながら(そこに“年月の収穫”というものが確かにあることを感じながら)、この日のライブを進めていた。チャボはいつも無言で天に向いて指を指すという仕草をする。それは向こうにいる清志郎に思いを伝える行為だということを僕たちは暗黙のうちにわかっているわけだが、この日は両手で6と5という数字を示してから天を指していた。つまり清志郎に向かって「オレ、65なんていう年齢になったんたぜ!」と伝えていたわけだ。(はい。ここで泣きました、僕)。
そしてまた、自分より遥かに人生の先輩であるにも関わらず、僕は「チャボ、よかったね」「生きてるってステキなことだよね」「本当におめでとう」ってな思いが胸のなかで膨らんでいることを確かに感じてもいたのだった。

チャボ、65歳、おめでとう。

本当に「行ってよかった」と思えるライブだったし、自分の人生のことや、“自分にとってのA氏的な人”への思い方についても改めて考えさせられた夜でした。