ヒューマントラスト渋谷で『ジャージー・ボーイズ』。
(*この記事、ややネタバレありです。念のため)
(*この記事、ややネタバレありです。念のため)
イーストウッドが撮る音楽映画とくればそりゃいいに決まってるだろうとは思っていたが、予想を遥かに上回る素晴らしさに驚いてしまった。
間違いなく今年のベスト1。イーストウッド監督作の中では僕は『バード』が一番好きなのだが、それに並ぶくらい好き。比較すべき対象ではないけど『グラン・トリノ』よりも好きだ。
もっと言うなら、これまで観た全ての映画の中でもベスト20位内に入るんじゃないかというくらい。それほど愛しくてたまらない。1回観ただけなのにもう宝物のように思える映画。自分にとってこれは完全に特別な映画となったのだった。
冷静に考えてみても『ジャージー・ボーイズ』はイーストウッド作品の中で別格の1本だと断言できるが、それ以前にやや浮かれたまま「好きだ好きだ好きだ」といろんな人に言いたくもなる、そんな映画。もちろんパンフも買ったけどポスターもほしい。サントラはまだ買ってないけど、観た日の夜にアマゾンでフォー・シーズンズとフランキー・ヴァリのソロの代表曲を網羅した2枚組ベストを注文し、このところそればっか聴いている(何しろ観終わってからずっとバンドの曲が頭の中で流れ続けていた故)。映画のDVDというものを僕はもう滅多に買わなくなったが、この作品は出たらすぐに買って、お酒飲みながら時々観返したりしたい。そう思える1本だ。
聞けばアメリカではそこまで評価が高かったわけじゃないらしい。ツイッターとかで観た人の感想を見てみても、僕のように大絶賛してる人がいる一方、期待してたほどじゃなかったという人も意外と多い。じゃあ僕はどこにそんなにやられたのか。なんでこんなに好きになったのか。まだ頭の中で整理できてないので、思ったことを雑然とここに書きなぐりながら自分なりに考えてみたい。
まずはグループが結成されるまでの序盤がよかった。ニュージャージーという野暮ったい町で野暮ったくもやんちゃに生きてるあの感じ。マンハッタンの川向うの、言わば東京に対しての埼玉のような土地で悪さしながら生きるトミー・デヴィートと真面目でビビりのフランキー・ヴァリの、ちょっと歪な兄弟的関係性。盗みをはたらいて車で暴走したりしていたあの「通り」を含め、若き日を共に過ごしたあの場所あの時間が映画後半で実に効いてくる。
ツイッターで目にした感想の中にはバンドが結成されるまでの前半が長いというのもあったが、そこまでをきっちり描かなければバンドを結成した中盤からの加速も終盤のグルーヴも生まれないし、この映画の伝えんとしていることも引き立たない。だから「青春篇」とも言える序盤はこの映画のむしろ肝でしょう。床屋さんでのクリストファー・ウォーケンとヴァリのやりとりとか、ホントいいんだよな。
有名なスター俳優が(あえて)まったく起用されてないなかで、そのウォーケンの存在感がやはり光っている。
裏社会を牛耳るマフィアの大物ジップ・デカルロ役。懐大きそうで若者たちに優しいんだけど、ちょっと何考えてるかわからない怖さが奥にあるよね。殺しなんかも普通にしてきたっぽいような(実際、殺人容疑で逮捕されたりしてるらしいし)。そんな感じのデカルロさんが、ヴァリの歌う「マイ・マザーズ・アイズ(母の瞳)」を聴いて思わず涙ぐむシーンがあり、それがそのあと効いてきたりするあたりもいい。
ウォーケンとイーストウッドは、意外だがこれまで一緒に仕事をしたことも会ったことすらもなかったのだそうな。でも、恐らくはそれこそ同じ時代を戦ってきた感覚がイーストウッドにはあっただろうし、ボーイズたちを見守りながら老いを生きるその役割をウォーケンに託したところもあったのだろう。
2時間以上あったわりには長さを少しも感じさせない作品全体のテンポとメリハリもよかったところだけど、とりわけ唸らされるのは物語の端折り方の思いきりとシャープさだ。
普通ならこここそおいしい感動シーンだったりお涙誘いシーンだったりするところを、サクッと描いて別のドアを開けるように次の場面へと進む。そのシャープさ・粋さは、連ドラの『カーネーション』を想起させたりもした。ひとの人生を描くというのはこういうことなのだろう。
因みにいちおうこの映画の主人公であるフランキー・ヴァリは、そこまで魅力的な人物なのだろうかというと、それがそうでもない。歌声の美しさはまさに神からのギフトと言えるものだし(ヴァリにかなり近いけど、でもやっぱり少し異なるジョン・ロイド・ヤングの歌声もとてもいい)、ファルセット好きの僕からしたらそりゃあ“シンガーとして”たいへん魅力的であることは間違いないのだが、映画の主人公として考えるとこう言っちゃなんだがやけに真面目で面白味がない。悪の匂いをプンプンさせながら結局弱くてダメでどうしようもないトミー・デヴィートのほうが映画的には遥かに魅力的だ。そしてイーストウッド自身も、もしかするとそれほどヴァリの人間性自体にはそんなに惹かれていなかったんじゃないかと思えるフシがある。それよりもそういうヴァリをフロントとしたフォー・シーズンズというバンドそのものに惹かれてこれを監督したんじゃないだろうか。
というのも、こうして観るとヴァリひとりではなく、トミー・デヴィート、ボブ・ゴーディオ、ニック・マッシ、この3人が同じくらいそれぞれよくて、ひとりひとりに愛情が注がれた描き方がされているのがわかるのだ。もっと言えば、ヴァリ以外のメンバーをそれぞれ主人公にした別ヴァージョン3作も作ってほしいと僕は思ってしまったほど。特に音楽的な面にフォーカスするならフォー・シーズンズの数々の名曲を作ったゴーディオこそが天才なわけで、彼の視点で作られたならそれもさぞかし面白いだろう。
で、イーストウッドはそういう仲間たちがいてこそのヴァリをここで描いているわけで、つまりこれはヴァリの映画というよりはフォーシーズンズというバンドの映画であり、だからソロになってからの話はバッサリ省かれ、あの「君の瞳に恋してる」から一気に90年のロックの殿堂へと飛んだわけだ。
で、イーストウッドはそういう仲間たちがいてこそのヴァリをここで描いているわけで、つまりこれはヴァリの映画というよりはフォーシーズンズというバンドの映画であり、だからソロになってからの話はバッサリ省かれ、あの「君の瞳に恋してる」から一気に90年のロックの殿堂へと飛んだわけだ。
ところで僕は敗者を描いた映画や敗者復活を描いた映画が大好物だ。サイタマノラッパー、8マイル、アンヴィルなどワンス・アゲインの心意気に溢れた映画には文句なく胸が熱くなる。『ジャージー・ボーイズ』はというと、そのような種類の映画ではない。家庭を守ることはできなかったが、しかしこの映画で観る限りヴァリが歌手としての歩みをとめたことはなく、そりゃあそれなりに山も谷もあったにしても、少なくとも彼は敗者ではなかっただろう。で、イーストウッドはといえばそもそもこの映画を勝者と敗者の図式に当てはめた胸アツものにしたかったわけではなく、ましてや敗者復活の物語にしたかったわけでもなく、じゃあ何を伝えたかったのかといえば、人生は勝ちと負けとのいったりきたりであって、のってるときもあれば落ちてるときもある、そういうものなのだと、要するにそういうことが言いたかったんじゃないか。
そういう勝ち負けの無効感といったところに僕はこんなにもグッときたのかもしれないなと、いま書いててそう思う。
勝ち負けの無効感といま書いたが、音楽こそが、バンドこそが、まさにそういうものだと僕は思う。スポーツはそうじゃない。勝ちか負けかしかない。だから仮にこれがスポーツで繋がった仲間たちの物語だったとしたら、僕はここまで胸を揺さぶられることはなかっただろう。登場人物それぞれの人生を糸で結んでいるのが音楽だったということが、なんといっても僕の中では圧倒的に大きい。少なくともこの2時間ちょっとの中で描かれているのは、彼らの“バンドマンとしての”生き方(あるいはそこから外れるしかなかった生き方)だったことが絶対的に大きい。
古今、バンドというものは大方こんなもんだ。いわゆる成功をものにして、世間が騒ぎだした頃からバンド内バランスが崩れだし、やがて解散。それぞれの道を歩み、やがてまた再集結。まったくもってよくある話だ。よくある話ではあるけど、僕はどうやらそういうバンド・ストーリーというものにいちいち特別な思いを抱いてしまう。単純に言ってそういうバンド・ストーリーというものが好きなのだ。憧れていると言ってもいい。
僕はバンドマンにはならなかった(なれなかった)人間だけど、バンドという集合体に対してずっと特別な思いを抱き続けていて、ある部分においてはそれが文章を書いたり取材したりといったこの仕事の原動力みたいなものになっている……ようにも思う。スポーツマンやビジネスマンよりもバンドマンという生き方に自分の気持ちが動いたり重なったりすることのほうが断然多く、いくつになってもバンドマンを自負しているひと(それは若者から年寄りまで)の生き方にロマンを感じてしまう。それがいかにもダメなものであったとしても。
そういうよくあるバンドの物語を、イーストウッドは実にあたたかな目線で愛情と敬意を込めつつここで映画にしてみせている。劇中独白という大胆でユニークな形式や、先に述べたようなシャープな省略のテクをちりばめながら人間関係上での葛藤などをしっかり描き、そして何よりここが素晴らしいところだが、その上で音楽の……ライブの躍動、輝きといったものを完全に描写しているのだ。
初めてグループがテレビ番組で歌ったシーン。オケの贅沢な音に乗せて「君の瞳に恋してる」をヴァリが初めて歌ったシーン(鳥肌立った!)。そしてウォーケンまでもが躍った街路のカーテンコール。泣いてしまうほど僕がグッときたそれらのシーンはどれもまさしくライブであって、その躍動、その輝き、その幸福感といったらなかった。
うまくいっててもいってなくても、希望があっても葛藤してても、未来が見えてても見えなくなってても、ちゃんとしててもクズみたいなやつでも、音楽は、ライブは、その瞬間をあんなに輝かせることができる。
イーストウッドはそういう音楽の、ライブというものの魔法みたいなことを本当によくわかっていて(それはカメラのアングルの拘りなどからも伝わってくる)、だから僕(たち)はこんなにも幸せな気持ちになれたのだろう。
そして思う。イーストウッドは映画でそれを表現したけど、僕は文章でこの感覚を表現したい! たぶん僕はずっとそう思いながら飽きもせず20年くらいライターという仕事を続けているのだろう。
それとあともうひとつ。もともとは舞台で好評を得たこの『シャージー・ボーイズ』だけど、タイトルがまず素晴らしいよね。地元愛というか出自というか、まさにヴァリが最後まで拘りぬいたそのこと(それがそのままテーマでもある)を明快に伝えてくる。ニュージャージーで過ごしたあの時間・あの青春。それを象徴しているのが夜のあの通りで、僕はそれを観ながらちょっとスコセッシの『ミーン・ストリート』を思い出したりもした(『グッド・フェローズ』を引き合いに出してる人も多いですよね。ジョー・ペシ絡みってこともあって)。
とか思い出すままに書いていたら、だんだんと自分でもなんでこの映画がこんなに好きなのかがわかってきたよ。
よし、早くもう1回観に行こう。2回目は、たぶん1回目よりももっと泣いちゃうだろな。
