2月28日(火)
日本武道館で、東京事変。
ラスト・ツアーの最終日前日。
椎名林檎を観るのは3~4年前のさいたまスーパーアリーナ以来だ。
思いのほか客層が若い。
ソロ時代からのファンももちろん大勢いたのだろうが、ざっと見渡した限り、20代くらいの若い人の数が目立つ。
以前に比べ、明らかにファン層が若返っていた。
たまたま運よくチケットを獲れたのが若い人ばかりだったということもあるのか。
それともいつのまにかファンの世代交代が成されていたのか。
いずれにせよ彼女くらいのキャリアの持ち主でこんなにも若い世代に支持されるアーティストはけっこう稀であり、それはとても難しいことでもあるので、感心した。
音楽性の更新と、その伝達(アピール)をしっかりやれてきたことの証左だろう。
さて、どういうライブだったかというと。
一言で書けば、予算を大々的にかけ、演出にも凝りまくった、贅沢な一大エンターテインメント・ショー。
場面転換と衣装替えが何度も行なわれ、それはもう、サービス過剰とも思えるくらいのものだった。
編成も度々変わり、オーケストラが後方に居並ぶときもあれば、4人の女性ダンサーが前方でコミカルな踊りをして色をつけるときもあり、後半ではホーン・セクションが加りもした。
バンド・メンバーだけになるときもあったが、なんとバンド・メンバーすらも退いて椎名のソロ・ステージになるときもあり、僕はそれに驚いた。
東京事変というバンドでのライブなのに、バンド・メンバーがそこにいない時間があるのだから。
そのような変幻自在なあり方が東京事変というバンドの特殊性であり自由性であり個性ということなのかもしれないが、そこを了解してなかった僕のような側からすると、正直、ちょっと気持ちの落ち着きが悪かった。
そうした編成のチェンジに伴って、音もビッグバンド調やらロックやらエレポップ調やらとめまぐるしく変化する。
ファンはその自由さこそが東京事変であることを当然理解し、その上で…というかその自由さこそを楽しんでいるのだろう。
そのような信頼感を築けているのはすごいことだなと僕は観ながら思っていた。
普通なら成り立たない、極めて特殊な観せ方なのだから。
そこに感心しながら、しかしそれでもやっぱり僕がもっとも前のめりになれたのは、メンバー5人だけがステージに立って演奏していた後半の数曲。
特に椎名もギターを弾きながら歌っていたミニマル表現の数曲に東京事変というバンドの核心を見ることができてグッときた。
そこがもっともかっこよかった。
だから僕などは、この5人だけの演奏をたっぷり2時間聴きたいくらいだ…とか思ったりもしたのだが、きっとそういう捉え方はこのバンドのリスナーとして正しくないというか、このバンドを理解していないということになるのだろう。
みんながいろんなところで書いているように、完璧なステージだった、とは思う。
緻密で、大胆で、精度が高く、椎名のその抑制力は恐ろしいほど。
あれができる表現者はそうそういない。
(ポップ・ミュージックの世界では唯一かもしれない)
がしかし、完璧であることが感動に直結するかというと、必ずしもそうではないのが難しいところ。
これは個人の好みの問題であって、批判ではないので、ファンの方はお気を悪くしないでいただきたいのだけど。
僕個人の生理としては、そのあまりの完璧さが、正直ちょっと苦手。
情緒的なセンチメンタリズムに流れるのを徹底的に拒否する椎名の姿勢には恐れ入るのだが、僕などはどこかで感情がこぼれおちてしまう瞬間を期待して見てしまったりするのだ。
例えばほかのメンバーは感情に突き動かされたように客席の近くまで走っていってエモーショナルな弾き方をしたりする場面があるわけだが(もちろんそれも見せ方として予め組みこまれてはいるだろうが)、椎名はステージ上で走るなど感情に突き動かされた動きを見せることは一切ない。
だから美しいしだからかっこいいと見るのが、このバンドの、あるいは椎名の正しい理解の仕方なのだろうというのはわかっている。
わかっているのだけど……。
たぶん僕は、完璧に遂行しようとしながらも、どこかで情緒的なものがこぼれ落ちてしまったり、ふとしたときに隙のようなものが見えてしまったり、そういうもののほうにグッときてしまうタイプなのだ。
繰り返すが、これはあくまで生理であり、好みであって、批判ではない。
批判など許さないモノ作りへの徹底した情熱とか執念とかがあそこにはあった。
事実、僕が見た限りでは一般の人も評論家も誰もがツイートやブログで大絶賛。
生涯に観たライブのなかで5指に入る感動を得たと書いてる人もいた。
がしかし僕はその感覚を享受できなかった。
共有できなかった。
正直に書くと、わからなかったのだ。
あれほど感動と絶賛の嵐が吹き荒れたライブを観て、僕はピンとこなかった。
それはちょっとショックというか、そのあと数日間、引っ掛かってしまったことでもあった。
単に好みの問題ということだけで解決しちゃいけない気もしているのだけど、う~ん、どうなのだろう…。
この感じ、昔読んだ筒井康隆のショートショート(題名は忘却)のシュールさにちょっと似ている。