
『50/50(フィフティ・フィフティ)』。
いい映画だった。
声高に「傑作だ!」と騒いだりするような種類のものではないし、
名作として語り継がれるようなものでもないだろうが、
この映画が好きだという人とはなんだか気が合いそうな、
そういう人と話をしたくなるような、そんな映画。
少しばかり体の調子が悪かったので医者に行って診てもらって、
いきなり「癌ですね」と言われたら、
僕はどんな反応をするのだろう、
それから誰に何をどう伝えて、
誰とどう過ごして、
そのあとはどう過ごしていくのだろう…。
難病ものを描いた映画やドラマは数々あったけど、
ああいうことではなくて、
きっとこういう感じなのだろう。
その「こういう感じ」が、
可笑しくて、
切なくて、
リアルだった。
難病ものだけど、軽妙で、ユーモラス。
悲しみの押し売りが好きな日本では、
こういう粋な映画はなかなかできないのだろうな。
悪性腫瘍が見つかって、生存率50%と宣告される、
27歳の主人公アダムを演じるのは、
『(500)日のサマー』のジョセフ・ゴードン=レヴィット。
ジョギング中は赤信号で迷わず止まり、
やや潔癖症で、
車の免許も持ってなくて、
ラジオ局勤務だけあり普通に音楽に詳しい、
いわゆる文化系男子がアダムであって、
『(500)日のサマー』の彼がここではこんなことに……っていう、
そんなふうに地続きに思えなくもないのがまた感情移入を誘うところ。
というか、あれだ。
車の免許をとらない理由が「事故に遭うから」だったり、
必要以上に人に気を使う性格のわりにはあとでモヤモヤしっぱなしだったり、
強い母親に対して、めんどくささと思いやりの間で揺れてたり、
そんな“ダメ~な”いくつかが「もしかして、これ、オレ?」といった感じで、
自分に重なったりもするから、ますます感情移入。
だから尚更、彼の態度がいちいちリアル。
きっと自分も、こういうときには、家族に対して、友達に対して、
こういう態度をとってしまいそうだなと、そう思いながら観てたのだった。
几帳面で真面目な(そしてやや自己完結的な)主人公アダムに対して、
一見無神経で、下品で、調子がよくて、女好きで、アダムの病をネタにナンパしたりもする、
何かと真反対な性格でありながらも親友であり続けるのが
セス・ローゲン(この映画の制作者)演じるカイルなのだが、
彼がまたよくて、
グッときちゃいましたな、“あの”場面とか。
音楽使いのセンスも実によく、
レディオヘッドのあの曲とか、ロイ・オービソンのあの曲とか、ビージーズのあの曲とかが、
絶妙なタイミングで被さって、主人公らの感情を投射する。
笑えて、泣けて、
ほどよい余韻が、しばらくフンワリ。
個人的には母親との関係性まわりの描写がなんとも他人事じゃなくて考えさせられたりもしたものでした。
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