「今日はいい天気だな」と、気持ちよく目覚めて一服。
さあ、いい1日を始めよう。
そんな気分でお茶呑みながらツイッターのTLを辿ったら、そこに大勢の人の怒り、不安、苛立ちといった感情が渦巻いていて、一気に気持ち悪くなってしまった。
夜中の東電会見を受けてのものが大半だが、それに混ざってこれまでの不安と苛立ちの蓄積がどっと噴出した印象だ。
多くの人が感情に任せたツイートをしている。
冷静さを失っている。
感情を優先し、真意不明の誰かのツイートをばんばんリツイートしていく人がたくさんいるから、情報も錯綜している。
煽りとデマと訴えがごちゃ混ぜになって、正しい情報が見分けられない状態になっている。
そりゃあ不安になってあたりまえだし、怒るのもあたりまえ。
僕も不安だし、怒りたくもなる。
そりゃそうだ。
けどじゃあそれをあちこちにぶちまけていいかといえばいいわけがない。
そうすれば被災者が救われるというなら話は別だがそんなはずはない。
問題を認識する。真意を正す。そういうことと怒りをぶちまけることは、イコールではない。絶対にない。
怒りで我を忘れることほど怖ろしいことはない。
他者の気持ちがまったく理解できなくなるからだ。
「被災者のことを考えろ」とムキになってブンと振り上げた正義がかえって被災者の力を奪うことになる、ということも見えなくなる。
怒りの感情は怖ろしい。
ひとりひとりの怒りはムードとなって、あっという間に広がっていく。
あっという間に国全体のムードになる。
ツイッターは拡散力を持ったもので、喜びとか励ましを広げることもできるけど、ネガ感情を広げる力も強い。
しかも驚くほど速い(…ということが今回の件でよくわかった)。
「アエラ」叩きの一件でも思ったことだが、みんながみんな一斉に激しく感情を表して同じ方向を向く、あの感じはどうにも怖ろしいし、もっと言うなら気持ち悪い。
そりゃカチンともくるし不安にもなるけど、正義感のもとにひとつを寄ってたかって一斉攻撃することのほうがもっと怖い。
敵を見つけることで不安を取り除こうとする心理が丸見えで、吐きそうになる。
おっと危ない。
書いてたら僕も語気が少し激しくなりだした。
つまりこういうことなのだ。
怒りは、憎しみは、連鎖する。
9・11で一番ハッキリしたのはそのことだったし、一番怖かったのがそのことだった。
9・11を始め、あの前後、テロの恐怖に世の中が包まれた。
2005年7・7、ロンドンの同時多発テロがあった直後、僕はロンドンにいた。
世の中で一番怖いのは怒りや憎しみの連鎖だとそのときに実感した。
もう怒んのやめようよー。お願いだよー。
子供みたいにそう思った。
それから少しして始めたこのブログに「怒るくらいなら泣いてやる」とつけたのは、実はそういう気持ちからだった。
今また、あの頃の感じを思い出している。
一番怖い、怒りの連鎖、憎しみの連鎖、負の連鎖といったものが徐々に始まりだしているようで、胸のなかがざわざわしている。
なんか嫌な気分になりだしている。
ならないように、しようよね。
前の前の記事でも書いたけど、こういうときだからこそ柔らかさを意識して人と接しようよね。
もうすぐ咲き始める桜を、笑顔で見ようよね。
ね。
さあ、いい1日を始めよう。
そんな気分でお茶呑みながらツイッターのTLを辿ったら、そこに大勢の人の怒り、不安、苛立ちといった感情が渦巻いていて、一気に気持ち悪くなってしまった。
夜中の東電会見を受けてのものが大半だが、それに混ざってこれまでの不安と苛立ちの蓄積がどっと噴出した印象だ。
多くの人が感情に任せたツイートをしている。
冷静さを失っている。
感情を優先し、真意不明の誰かのツイートをばんばんリツイートしていく人がたくさんいるから、情報も錯綜している。
煽りとデマと訴えがごちゃ混ぜになって、正しい情報が見分けられない状態になっている。
そりゃあ不安になってあたりまえだし、怒るのもあたりまえ。
僕も不安だし、怒りたくもなる。
そりゃそうだ。
けどじゃあそれをあちこちにぶちまけていいかといえばいいわけがない。
そうすれば被災者が救われるというなら話は別だがそんなはずはない。
問題を認識する。真意を正す。そういうことと怒りをぶちまけることは、イコールではない。絶対にない。
怒りで我を忘れることほど怖ろしいことはない。
他者の気持ちがまったく理解できなくなるからだ。
「被災者のことを考えろ」とムキになってブンと振り上げた正義がかえって被災者の力を奪うことになる、ということも見えなくなる。
怒りの感情は怖ろしい。
ひとりひとりの怒りはムードとなって、あっという間に広がっていく。
あっという間に国全体のムードになる。
ツイッターは拡散力を持ったもので、喜びとか励ましを広げることもできるけど、ネガ感情を広げる力も強い。
しかも驚くほど速い(…ということが今回の件でよくわかった)。
「アエラ」叩きの一件でも思ったことだが、みんながみんな一斉に激しく感情を表して同じ方向を向く、あの感じはどうにも怖ろしいし、もっと言うなら気持ち悪い。
そりゃカチンともくるし不安にもなるけど、正義感のもとにひとつを寄ってたかって一斉攻撃することのほうがもっと怖い。
敵を見つけることで不安を取り除こうとする心理が丸見えで、吐きそうになる。
おっと危ない。
書いてたら僕も語気が少し激しくなりだした。
つまりこういうことなのだ。
怒りは、憎しみは、連鎖する。
9・11で一番ハッキリしたのはそのことだったし、一番怖かったのがそのことだった。
9・11を始め、あの前後、テロの恐怖に世の中が包まれた。
2005年7・7、ロンドンの同時多発テロがあった直後、僕はロンドンにいた。
世の中で一番怖いのは怒りや憎しみの連鎖だとそのときに実感した。
もう怒んのやめようよー。お願いだよー。
子供みたいにそう思った。
それから少しして始めたこのブログに「怒るくらいなら泣いてやる」とつけたのは、実はそういう気持ちからだった。
今また、あの頃の感じを思い出している。
一番怖い、怒りの連鎖、憎しみの連鎖、負の連鎖といったものが徐々に始まりだしているようで、胸のなかがざわざわしている。
なんか嫌な気分になりだしている。
ならないように、しようよね。
前の前の記事でも書いたけど、こういうときだからこそ柔らかさを意識して人と接しようよね。
もうすぐ咲き始める桜を、笑顔で見ようよね。
ね。