前の文の続きです。



そんなわけで本作りが始まった。
打ち合わせやら取材やら対談やらを、6月、7月と順次行なった。


泉谷さんの事務所(ま、家か)に数回お邪魔して、たくさんの話をしたり聞いたりした。
いつも2時間とってもらって行くのだが、結局毎回4時間を超え、泉谷さんは深夜までタップリ話してくださった。

それはまさにライヴのようで、若き日の清志郎やチャボや破廉さんやリンコさんや加奈崎さんがまるでそこにいるようで、僕はゲラゲラ笑って、ときどき危うく泣きそうにもなった。


終わって帰るときの僕のテンションはいつもおかしくなってた。
何やら高揚がしばらく収まらず、あらゆる感情がグルグルしてて、歩きながら、または電車に乗りながら、いろんな表情になってるアブナイやつになっていた。
それはとてつもなくエモーショナルな体験だった。


加奈崎さんにはライヴで東京にいらしたときに集中して話を伺った。
加奈崎さんは……なんというかどこまでもソウルの人だった。
熱さがあるのと同時に、とても気遣いをしてくださる人だった。
その喋りはまさにライヴのようで(って、上の泉谷さんの譬えと一緒だけど)、やっぱり僕はゲラゲラ笑って、そして場面場面でグッときていた。


お二方とも“優しさの大きな”人だった。
「なんて優しいんだ…」と何度も思う場面があった。
な~んてことをこんなところに書いてるのが泉谷さんに知れたら、「てめー、オレのイメージダウンになるから、キモチワリーこと、勝手にブログに書くんじゃねぇ!」って怒られそうだけど(笑)


僕がリアルタイムでは知りえなかった40年近く前のフォークの時代の話を、おふたりともまるでこの前起きたことのように教えてくださった(それは史実的にもとても貴重な証言だった)。
また、僕がリアルタイムで体験したライヴの、またはレコードの、そのときのエピソードもたくさん知ることができた。
その時代時代にまわりにいたいろんな人たちのいろんなエピソード……グッとくる話と(愛ある)悪口をたくさん聞いたりもした。


そこにはその時代の泉谷さんがいて、その時代の加奈崎さんがいて、そしてハッキリと清志郎がいた。


泉谷しげるを通して見る清志郎。加奈崎芳太郎を通して見る清志郎。
それがこの本の主題ではあるが、同時に「清志郎を通して見る泉谷しげる」「清志郎を通して見る加奈崎芳太郎」……そういうものになればいいなと思いながら、おふたりの文を構成していった。

3者がそれぞれの立場で、それぞれの感情で、同じ時代を生き、同じ場所にいたということのダイナミズムが伝わればOK。
そういう本になってると思う。


読んでね!!



ぼくの好きなキヨシロー/泉谷 しげる・加奈崎芳太郎
¥1,995
Amazon.co.jp

(おかげさまで早くも増刷です)





この文、しつこくもう一回続く。