前の文の続きです。
「『青い森』の時代に限定したタイムカプセルは書いてて楽しいが~オレの主観のみの感想文だし、出すとなりゃ~もちっと客観的な視線も必要だろってコトで」
それで泉谷さんは加奈崎さんに声をかけた。
そして、それを構成する者として僕も声をかけていただくこととなった。
自分から売り込んだりしたわけじゃないし、もともと知っていたとか過去に仕事をさせていただいたりしてたというわけでもない。
きっかけは、実はこのブログだった。
まず、5月13日のこのブログに僕は、5月10日に恵比寿ザ・ガーデンホールで行なわれた泉谷さんのライヴについてのことを書いた。
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10260193651.html
そしてその約1週間後、シングル「生まれ落ちた者へ」のリリース・タイミングで、音楽ウェブサイト「music shelf」用として泉谷さんにインタビューすることになった。
(これも13日のブログの記事を読まれたmusic shelfの編集T氏から、「そんなに好きなら僕の代わりにインタビューしませんか?」と声をかけてもらって実現したことだった)
http://musicshelf.jp/?mode=static&html=special51/index
で、ここにも書いたように、なんと泉谷さんはパイプオルガン奏者の後藤香織さんからのメールで僕のブログを知り、ガーデンホールの記事を読んでくださっていて、「あれを書いたのはキミだったのかぁ~」…ということになった。
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10265197214.html
そのときのインタビューの中でも、泉谷さんは清志郎の話をした。
話をした……というか、どうしてもそういう話になってしまって、話の中から思いがボロボロとこぼれだしてきたという感じだった。
まあ、そんな経緯があったもので、本を作るということになったとき、(構成は)「あいつにやってもらおう」ということになった……そうだ。
「清志郎のことだけじゃなくて、オレのこともちゃんとわかってるやつに頼みたいから」。
それで僕を指名してくださったそうだ。
光栄なんてもんじゃない!
1979年4月。
高校生だった僕は、野音でのイベント「SPRING CARNIVAL」で初めてRCサクセションのライヴを観て知り、以来、ずっと好きだった。
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10257082536.html
1975年か76年。
中学生だった僕は、誕生日のプレゼントにおじさんから『ライヴ!! 泉谷~王様たちの夜~』のレコードを「これを聴け!」ともらい、以来、はまってずっと追いかけた。
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10101525062.html
改めて数えると自分でもビックリするが、気がつけば僕は30年間も清志郎の歌を聴き、泉谷に至っては34年間もファンでい続けたのだ。
また、古井戸は、RCにハマったその年…1979年の解散ライヴをテレビで見て、『ラスト・ライヴ』を出てすぐに買いに行き、盤が擦り切れるほど聴いた。
とりわけ「何とかなれ」は、あの頃、生きる上でどれだけ重要だったか。
学校や会社や社会に混ざりあえず、恋愛もうまくいかず、落ち込んだり苛立ったりしてばかりいた若い頃、「何とかなれ」を部屋で聴いて歌って叫んでたことでどれだけ僕は救われたか。
http://www.youtube.com/watch?v=rhBIOjstG-Y
そのようにハマって追いかけてきた人たちの……僕の人生にとってばかでかい意味を持った歌をうたっていた人たちの、その思いを、言葉を、自分が構成して本にすることになったのだ。
それはもう、光栄なんてもんじゃない。
続く。
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