このところ『十年ゴム消し』やら『生卵』やらと清志郎本をいろいろ読み返していて、今朝も起きぬけに『瀕死の双六問屋』を読んでいた。

清志郎の文章は歌と同じように、あるとき、ふいに重みが増すことがある。
重みが増すというか、その意味が唐突に自分のことのようにわかってハッとすることがある。
つまり、直観で真実を射抜いていたということだ。


これは昨日ここに書いた記事にある意味繋がっているようで、おおっと思った章。

「泥水(マディ・ウォーターズ)を飲み干そう」と題された第39話に書かれていたこと。
(しかし、この題からしてめちゃくちゃカッコイイな)


無許可でスミマセンと先に謝った上で、ちょっとだけ抜粋させてください。



しがみついてる古いやり方はとっくに時代遅れだから、レコード会社は衰退してるのさ。ベスト盤しか出せないんだ。ベスト盤は安いコストで作れるからね。新しいサウンドを流行らせようとか新しい音楽を売り出そうっていう気持には誰もなれなくなってしまった。悲しいことだ、せっかく音楽に携わっているのに。銀行や自動車会社のようにレコード会社も合併や吸収合併をくり返して、せいぜい3つか4つくらいになっていくだろう。多くのバンドやディレクターがリストラされるだろう。そしてますます軽い使い捨て音楽が流通されるのだろう。悲しいことだが、真実だろう。



これが書かれたのはおよそ9年前!
予言…というか、自分の皮膚感覚であったのだろうけど、まさにこれは今、“悲しいことだが、真実”である。
完全に今そうなっているのである。


だけど清志郎はここでも悲観で終わらない。いつもそうであるように。
この話の後半はこう展開する。



本当に自分の音楽が好きだったら50歳になっても60歳になっても音楽をやってステージに立つだろう。マディ・ウォーターズを知ってるかい? 80歳を超えても現役で死ぬまでイカレたブルースを歌っていた人だよ。本当に何よりも音楽が好きだったんだよ。世界にはそういう人がたくさんいるんだぜ。君だってそうなれるさ。希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。ふざけんなよ、俺がサイコーなんだっていつも胸を張っていたいだろ?



これが清志郎だ。
この言葉を、誰かのせい(会社のせいとか、時代のせいとか、不況のせいとか、システムのせいとか)にしてくすぶっている全ての人に今、言いたい。


そして僕は自分を鑑みる。
時代がどうだろうがレコード業界がどうで出版業界がどうだろうが、本当に自分の好きな音楽があって、それを素晴らしいものだと信じている限り、くだらない音楽などには惑わされずに、いい音楽のよさを書き続けてやる。

そういうことだ。


……ってなふうに熱くなりやすいモードに、今の僕はいる。
それはもうひとりの「俺がサイコーなんだって胸を張って」歌い続けているある表現者に感化されまくっているからでもある。
さて、その人に会いに出かけるとしよう。




瀕死の双六問屋 (小学館文庫)/忌野 清志郎