5月20日(木)
お台場のフジテレビ湾岸スタジオで、泉谷しげるにインタビュー。
一夜明けてもまだ心の中に熱が残ってる。
残った熱が栄養にかわっていってるのが自分でわかる。
今の僕は無性に前向きだ。
なんだかわからないが「やるぞぉ」ってな気持ちになっている。
泉谷とガチで話せたからだ。
(前にも書いたが、泉谷さんと“さんづけ”しないで書いてるのは、泉谷はイズミヤだからであって、敬意の表われだと受け取っていただきたい)
泉谷が音楽活動を本格的に再開させてから、そこに至った理由などを軸に話を訊きたいとずっと思っていた。
本当に久しぶりのアルバム『すべて時代のせいにして』を出したとき、泉谷はけっこうな本数の取材を受けていて、そのタイミングでなんとか取材したいと願っていたのだが叶わなかった。
しかし、6月にニューシングル「生まれ落ちた者へ」が出るという今のこのタイミングで、話がきた。
音楽ウェブサイト「musicshelf」の編集をやっているTさんが僕のブログを読んでくれていて、この前の泉谷についての長い記事も読んで声をかけてくれたのだ(感謝!)
さすがに行くまでは緊張した。
理由は簡単には書けないが、要するにこの人がいたから僕はこうなった…っていう、泉谷は僕にとってそういう存在だからだ。
楽屋に通され、そこに泉谷Tシャツを着た泉谷がいた。
過去2回、泉谷にインタビューしたことがある。
最初は91年発表の『叫ぶ人囁く』のとき。
2度目は98年発表の『私には夢がある』のとき。
最初にそれを伝えると、泉谷は「どっちも中途半端なアルバムでしたねぇ」と言って笑った。
インタビューの内容はこれから記事にするのでここでは書かない。
が、しばらく音楽から離れた理由から、再開させた理由、今表現したいテーマ、そして清志郎のことなど、1時間20分たっぷり話してくれた。
「青い森」での清志郎の話など、それが40年前のこととはとても思えないぐらいにそこでの空気感や匂い、それに若かった清志郎の純粋な優しさなどが生々しく伝わってきた。
貴重な、それはもう日本の音楽史的に本当に貴重なある時代のある場所でのある瞬間を、その当事者が今ここで語ってくれている。
これは凄いことだ。
こういうときに、この仕事をやっていてよかったと実感する。
今、泉谷は自分のサイトで「緊急特別連載 ー忌野清志郎・伝ー」というのをやっている。
http://www.wagasha.co.jp/
3回目がアップされたばかりだが、これがグッとくる。
「振り向き、笑顔でバイバイしてくれた」清志郎のその優しい表情が目に浮かぶ。
そのときのことなんかも話してくれて、それは「忌野清志郎・伝」のライヴ版のようだった。
そう、まさにライヴのようだった。
単なる取材ではなく、泉谷しげるの語りライヴ。
なんて贅沢な1時間20分!
この前の恵比寿ガーデンホールの感想を伝えているときだった。
僕はいつものロック・モードの第2部にももちろん感動したが、第1部で新機軸を見せたその取り組みと可能性に心揺さぶられたと話した。
とりわけ新曲の「愛と憎しみのバラッド」にやられたと伝えた。
すると泉谷は「それ、なんかのホームページだかなんだかに書いてなかった?」と言い、「後藤(香織。パイプオルガン奏者)からメールがきたぞ。なんかすごいこと書いてるやつがいるって」と続けた。
「あ、はい。書きました。ブログに」と僕。
泉谷は…「あれ、キミかぁ~。そうかぁ。いや、ありがとうございます」。
なんと。
泉谷は僕のあの記事を読んでくれてたのだ!!
「オレ、評論とか読まねぇし、人の評価とか気にしない人間なんだけど、後藤が“送るからこれは読んで”って言うもんだから“わかったわかった”っつって読んだら、“おおおおっ”って驚いてさ。すげぇなこいつは、なんて観方するやつがいるんだって思って」
はい。僕は今、ハッキリと自慢してます。
すげーだろ。
泉谷が読んでくれたんだぜ。
嬉しすぎて胸がばこーんってなったよ。
さらにもうひとつ、僕にとってものすごく嬉しくて励みになったある言葉があったんだが、それは恥ずかしいからここには書かないで自分の中にしまっておく。
でも僕はその言葉で自分のこういうあり方が肯定されたような気持ちになったんだ。
泉谷のいろんな歌を聴いて何度もそういう気持ちになったようにね。
泉谷しげる。
存在そのものが励ましのような人。
いい日だった。
今、表現欲求と衝動に突き動かされるように泉谷が自分でやっている動画サイト「泉谷しげるのコラコラ放送局!」。見るべし。

