2009年5月9日。
この日のことを僕は一生忘れない。
「忌野清志郎 青山ロックンロールショー」。
そう題された清志郎の「葬儀式」が青山葬儀所で執り行なわれた。
始めは喪服を着ていくつもりでいたのだが、出かける前にヨメと話し、「だってさぁ~、これはロックンロ~~ルショ~」ってことで、僕は清志郎のTシャツを、ヨメはストーンズのベロTを着て行くことにした。
12時ちょっと前に乃木坂に着き、既に長くなっていた列の後尾に並んだ。
少しすると係の人が「式場の中に入れるのは早くて3時過ぎで、それから献花台の前に進んでいただけるのは5時くらいになるでしょう」といったアナウンスをしてまわった。が、それに対して不満をもらす人などもちろんひとりもいなかった。
前日とはうってかわって、初夏のような暑い日だった。
日焼けしたほどだ。
夏の午後に、あれこれ他愛もない話をしながら列に並んで待っているこの感じ。
日比谷野音でライヴの開演を待って並んでいたあの感じを思い出した。
焼きそばとビールは売ってなかったけど…。
3時間ちょっとが過ぎた頃、テレビ局のカメラにつかまってマイクを向けられた。
「今日は何時頃に来られたんですか?」
「12時過ぎです」
「昨日の天候とうってかわって晴れましたね」
「そうですね。清志郎さんらしいんじゃないですかね(笑)」
答えながら思ったのだが、そういえば野音や苗場を始めとする野外の会場で僕が観てきた清志郎のライヴは大抵晴れていた。
忘れているだけかもしれないが、でも雨の中で観た記憶がほとんどない。
晴れ男だったのか。
「もう3時間以上並ばれているわけですが、どうですか?」
「いやぁ…。ゆっくり清志郎さんのことを考えることができて、よかった気がします」
そう思っていた。
パッと行ってパッと入れて終わってしまうのは嫌だった。
ちゃんと時間をかけて清志郎に会えてよかった。
葬儀所の近くに列が進んだあたりから清志郎の歌が聞こえ始め、中に入ったときにちょうどかかったのは「よォーこそ」だった。
「よォーこそー。よく来てくれたぁー、このコンサートにー」
タイミングがよすぎて笑ってしまった。
中で並んでいる間、ずっと清志郎の歌が流れていて、多くの人は泣いていて、ライヴで使われたウサギのバルーンが悠々と風に揺れていた。
ギターを抱えたウサギのバルーンはまさに清志郎の歌にあった動きをしていて、「歌ってるみたいだね」とヨメが言った。
そこに来た人たちを大きな心で優しく見ているようにも思えた。
最後に録ったという「OH! RADIO」の清志郎のデモも流れ、そこで初めて僕はこの曲をじっくり聴き…涙が溢れた。
胸をうつ曲。胸をうつ歌声。いい曲だ、本当に。
それから葬儀所内へと入り、祭壇へ進んだ。
献花をし、まず「30年間ありがとう」と口に出して言った。
30年間というのは僕がRCのライヴを初めて観た年からの月日のことだ。
1979年の4月29日に僕は初めてRCを観たから、ちょうど30年なのだ。
そして伝えたかったことを伝え、そこを離れた。
因みにそのときにかかっていた曲は「いいことばかりはありゃしない」で、何人かの男性がそのサビを泣きながら一緒に叫んでいた。
4時半くらいだった。
「ありがとう」と「さようなら」と「まあ会いましょう」をしっかり清志郎に言えたら、自分でも不思議なくらい、この1週間ずっとあった悲しみという感情が去っていった。
いや、もちろん去ったというと嘘になるけど……なんだろう、この言い方は不適切かもしれないけど、何か晴れやかな気持ちになったのだ。
悲しい気分なんか、ぶっとばしちまえよ べいべぇ。
そういうことだ。
とてもいい葬儀だった。
清志郎が信頼し、清志郎のことをよくわかっているスタッフの方々が、どうしたら清志郎が喜ぶかをみんなで考えた葬儀であることがすごく伝わってきた。
そしてファンのみんなの気持ちをすごく考えて執り行なわれたものでもあった。
だから僕(たち)は、この5月9日を胸に刻み、ここから新しい日をまた歩いていくことができる。
感謝します。
あ、それからもうひとつ。
さすが清志郎のファンはいい人というか、マナーもちゃんとした大人が多かったことを感じたな。
エキセントリックに泣き叫ぶ人はそんなにいなくて、ひとりひとりが自分の感情にジッと…しっかりと向き合っていたようにも見えたし。
ここに集まった人ひとりひとりがみなそれぞれに「清志郎とオレ」「清志郎と私」という関係で清志郎の音楽に接してきて、人生のどこかの場面でその人なりの回数分だけ清志郎の歌に共感したり勇気づけられたり背中押されたり笑ったり泣いたりしてきて、その人たちがそれぞれの思いでここに清志郎にありがとうと言いに来ている、そういうふうだった。
ニュースによると4万2千人もの人が集まったのだそうだ。
ゆっくりご飯を食べてお茶を飲んで、帰りに乃木坂駅に向かうとき、列はまだ変わらずのびていたし、12時をまわって祭壇にまで行けなかった人もいたと聞く。
日比谷野音の前で夜を明かしたという人たちもいたらしい……。
繰り返すけど、5月9日という日があったから、だからここから僕(たち)は上を向いて…前を向いて歩いていける。
僕はこの日のことを忘れない。





