先週の土日は朝霧Jamを楽しんできたわけだが、その一方、日にちがもろに重なっていて、泣く泣く諦めたライヴがふたつあった。
10月4日の土曜日にゼップ東京で行なわれた泉谷しげるのオールナイトライヴと、5日の日曜日に日比谷野音で行なわれたジョニー・ルイス&チャーとフラワー・トラベリン・バンドのライヴだ。
(野音のほうは、僕はもちろん再結成ジョニー・ルイス&チャーのほうを観たかったのだ!)
泉谷しげる。ジョニー・ルイス&チャー。
僕が若い頃にどんだけ影響を受けたかは、前にこのブログでもちょっと書いた。
そういう意味で、自分にとって、どっちも観なきゃいけない重要なライヴだった。
↓前に書いた泉谷しげるの記事はこちら。
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10101525062.html
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10102040926.html
泉谷のほうは、チケットも即効で買ってあった。
が、その両方がよりによって朝霧Jamとドンピシャで被っていることがわかり……。
迷いに迷いましたよ。
友達みんなでワッと楽しんで“今の”バンドを感じるほうを取るか(←朝霧)、自分の人生を見つめ返す方を取るか(←泉谷)、みたいな感じで天秤にかけて。いや、大袈裟じゃなくてね。
迷いに迷った末……自分のこの微妙な気持ちをうまく説明できないけど、強いて言うなら、まあ今を楽しむほうを選んだ、みたいなことになるのかな。
泉谷のチケットは、ルーザー時代に泉谷を追いかけていた友達に譲り、僕は朝霧に出かけたのだった。
そして、やっぱりものすごく気にはなっていたので、帰ってからいろんな方のブログなどを読むと。
まず、野音のジョニー・ルイス&チャー。
「宇治茶屋序幕」で始まり、「Finger」で終わり、アンコールもあって、そこではなんと意外にも「Restaurant」をやったんだそうですね。
メインアクトのフラワーにも負けじと、(アンコールがおきるぐらいだから)ジョニー・ルイス&チャー観たさに集まった方々もかなりの数いたそうで。
そりゃあねぇ。
再結成するのも信じられないことである上、なんたって場所が野音ですからね。
Free Spiritで3人が始まった場所であり、散った場所でもあるのだから、そりゃもう特別な意味があるわけで。
解散ライヴのあの情景、今でも僕は目に焼きついてるから、たぶん行ってたら目頭熱くなってたと思うな。
どうか、今度は単独ライヴを!!。
そして泉谷しげる。
60歳だから60曲を歌うという無謀なオールナイトライヴ。
20曲ずつ3部に分け、結局、泉谷、アンコールの2曲も加え、62曲を歌いきったと。
声の調子もここ数年のライヴでもっともよかったと。
僕はまたボチボチ歌い始めるようになったこの3年の渋谷Duoでのライヴも毎回行ってたゆえ、確かに年を追うごとに声が戻ってきてるのを感じていたけど、とりわけ今年に入ってからの急激な復調ぶりには驚かされるばかりで。
間違いなくこの3年ぐらいの中で、今回のライヴが一番質の高いものになるだろうとわかっていたし、だからこそ行くべきだとは思っていたのだが……うん、やはり本当にいいコンディションだったようですね。
それにしても、つくづく凄いオヤジ(ハイジー)だ……。
で、行けなかった僕は、泉谷のウェブサイトにアップされていたセットリストをじっくり眺めながら、それが歌われたときの様子をイメージして思いに耽るしかないのだが。
うーむ。いろんなことを考えさせられるセットリストだなぁ。
まず第一部。ここでのセットリストで目を引くのは、「地球がとっても青いから」「ヒマ人クラブ」、それに、おおっ、「少年A」もやったんですね。
第二部は、「紅の翼」「砂時計」「告白のブルース」……。「街はぱれえど」は僕、ナマで聴いたらグッときてただろうなぁ。
今でもよく、自分が内側に向いてるとき、ふと渋谷とか歩きながら、「街は~ぱれえどさ~。みんなキレイに見えらぁ~」とかつぶやくことがよくあるゆえ。
あと、相当意外なのが、『家族』の「哀願情歌」。こんな曲まで選ばれるとは…。
また、第二部の「初期から中期・フォークからロックへ~」編では、『80のバラッド』から「流れゆく君へ」「海をにぎりしめる少年」「レイコ」っていう流れがたまらない。
ここも沁みどころだったんだろうな…。
第三部は、うわー、ダイナマイトポップスショウを再現してしまったのかぁ。
これは、これは観たかった…。
『光石の巨人』は、中学生だった僕にロックのなんじゃこりゃ的興奮を教えてくれた1枚でもあったゆえ。
で、「翼なき野郎ども」からの「エンディングに向けて」編は、まあ、いつもの熱狂パートで新味はないが、しかしなんといっても記念すべき60曲目。
これが予想外の「土曜の夜君と帰る」だったと知って、僕も驚きました。
観に行ったE社のともだちは、ここで本当に涙がでたとメールをくれたけど、それ、わかる。
このタイミングで、これを歌われたら……。
想像しただけで、僕もジンとくる。
しかし意外にも「裸の街」は歌われなかったのだな。ここで「裸の街」がくると読んでた人も少なくなかったんじゃないか。
けど、そうではなく、「土曜の夜君と帰る」をやった、と。
そりゃあ感動するだろうなぁ。
アンコールでは、ゲストのチャボのみならず下山淳も飛び入り参加して、プチ・ルーザーになったっていうし。
と、こんなふうにセットリストを眺めながら、僕は新作の中の「すべて時代のせいにして」を聴いている。
「自分の限界きめるな」
これは久しぶりに泉谷から届いた直截的なメッセージであり、久しぶりに突き刺さった一言だった。
ほかの誰かがこう歌ったとしても、ああそうですかと思うだけだっただろう。
だが、60歳にして62曲を本当に歌いきりやがった泉谷がこう歌うと、心に突き刺さらないわけにはいかない。
説得力がまったく違う。
机上で書かれた言葉ではなく、まずは己がこれだけのことをやってみせて、それで歌われた言葉なのだから。
泉谷という人はいつもこうだった。
だから僕は、前にも書いたが、ずっと泉谷しげるに「なりたかった」のだから。
「自分の限界きめるな」。
歌の中では、すべて時代や時間や世界のせいにしている者へのメッセージとしてこの言葉は歌われているが、しかし、これは泉谷が己を鼓舞する意味でも言わなくてはならなかった言葉なのだろう、きっと。
また、怒りと背中合わせで、そして鼓舞を含んでいながら、同時に優しさもこの言葉にはあるような気もする。
怒りと鼓舞と優しさ。
まさに泉谷という人間そのもののようだな。
自分の限界をきめたくないから泉谷は60歳で60曲(62曲)のオールナイトライヴをやった。
やれることを見せたかったのだ。
誰に?
自分に。でもあっただろうし。
たぶん、きっと、清志郎にでもあったんじゃないか。と、僕は思う。
いろんなことを考えさせられる。
泉谷はまた、これから歌うべきことを見つけたんだと、例えばこの日も第二部の最後に歌われたらしい「回想」など、生と死をテーマにした曲を聴きながら……僕は思う。
すべて時代のせいにして プレミアムセット(DVD付)/泉谷しげる