8月はフジロックとサザンのことしか書かずに過ぎちゃったので、書いてなかったライヴ日記をぼちぼち振り返って書いていくことにします。
まずは先々週のこれから。



8月24日(日)


池上本門寺で、Slow Music Slow Live'08。


恒例となった夏のゆったり音楽フェス。
去年に続いて今年も1日だけ行ってきました。


この日は3日間の公演の最終日。
出演は順に、羊毛とおはな、土岐麻子、Sotte Bosse、コトリンゴ、中孝介、アン・サリー。


天気はといえば、羊毛とおはなのあたりでは小雨だったのが、徐々に雨足が強くなり、中くんの頃にはザーザー降り。
ロック・フェスと違って、着席式で、こうしたSlow Musicを雨の中じーーっと聴くのは、まあ、なかなかどうして……。
好きな音楽、好きなアーティストじゃないと、ぶっちゃけ、つらいっちゃつらい。
ザーザー降りになってからの最後のふた組、中孝介とアン・サリーが僕のお目当てだったので、途中退席せずに最後まで観たけど。
セットチェンジの間とか、雨に打たれてただ着席しながら、ふと修行僧のような気持ちにならんでもなかったです。
もちろんいつものレインウェアのおかげでだいぶ防げたけど、薄いビニールのカッパだけだった人はきつかったんじゃないかな。
やはりこうしたゆったり音楽フェスは、晴れていてこそだと思いましたね。

とはいえ、それはそれ。
それぞれの歌と演奏は耳から心へ優しくやんわり入ってくるもので、よくないアクトはひとつもありませんでした。


この前のフジロックで2~3曲聴いたのに続いて、今度はちゃんと観ることができた羊毛とおはな。
フェアグランド・アトラクションの「パーフェクト」とかスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」といったカヴァーを含め、シンプルなアコースティック演奏と歌を、まるでそこがふたりの家のリビングルームであるかのような親密さで聴かせてくれました。


土岐麻子さんは、CDはいいけどライヴはうーむ……と、かつてチラと思ったことがあったんですが、Air Plantsという、チェロ、バイオリン、アコギからなる女性3人をバックに従えての今回のステージは、アレンジの具合も含めてなかなか質の高いものだと感じました。


初めて観たSotte Bosseは、こちらもカヴァー中心。ただ一青 窈「ハナミズキ」とか、あと米米クラブだったかなんだったか、J-ポップ曲をボサノヴァふうのアレンジで歌ったりしてたんですが、僕にはちょっと選曲がベタすぎるように感じられなくもなかったですね。
女性歌手の声は空に広がっていく感じの気持ちいいものだったし、アレンジのクオリティも高いとは思えたんですが、J-ポップ・カヴァーという安易なコンセプトが前にですぎると損をするんじゃないか、ってな気も。
どうでしょうかね。


ピアノも歌も弾んだ感覚を持ち、ユニークな個性と音楽センスのよさが際立っていたのが、コトリンゴ。
自由度も高く、楽しんでいる様子が演奏の仕方と声の両方から伝わってきたのがよかったです。
坂本龍一のお墨付きっていうのは、曲展開から、なるほどの感も。
改めてどこか小さな会場でちゃんとライヴを観たくなりました。


そして僕のお目当てのうち、まずは中孝介くん。
この日はチェロとピアノという編成で、特にチェロが曲の広がり・落ち着きをより一層のものとして伝えてきた。
「花」の第一声“もしも~”で、毎回のことだがグッと彼の世界観に引き込まれる。
しかし、雨の勢い、強まるばかり。
「夏夕空」という曲などは、雨の降っていない夕暮れにこの場所で聴けたら、ずっぱまりだっただろうに…。
それでも奥田民生のトリビュート盤参加曲「手紙」と新曲の「絆」(←名曲)は、とりわけ力強く響いてきましたね。
井上陽水「少年時代」もよかったです。


最後は、久々に観るのを楽しみにしていたアン・サリー。
いやもう、ハッキリ言って、別格でしたね。
ひと声でそのことをわからされたというか。
声の広がり、響き方、おおらかさ、どこをとってもほかの女性アーティストと同じ出音量とは思えないもの、あり。
「Over the Rainbow」「満月の夕べ」「明日にかける橋」などをじっくり聴かせ、「チャタヌガ・チュチュ」で楽しくもさせる、そのバランスにエンターテインメントを感じたりもしたし。
スティール・パンの鳴りと歌声の合わさりもいい感じだったし(←雨が降らなきゃ尚更それを実感できたでしょうね)。
特にやっぱり「蘇州夜曲」。

“鐘が鳴ります~本門寺~”と変えて歌ってたんだけど、その一節はなんか沁みたなー。



来年は……晴れたらまた行こう、うん。


あ、そうそう、特製のやきそば、美味でした。



こころうた/アン・サリー
昨年出た全邦楽作品の中でも、僕的にはベスト3に入るだろうアルバム。
これが出たとき、取材もしたんだが、一誌にしか書くことができなかったのが未だに心残りで…。