日産スタジアムでサザンの公演の初日を観てから、早いものでもう2週間。
30年前のことを思い出しながらぐだぐだと長く書いてしまったが、こんなふうに自分の思い出を振り返りつつあれこれ書いたり語ったりしたくなるのも日本で唯一サザンというグループだけが持つ特性なのだろうし、今回のライヴにはとりわけそういう作用を起こさせる力があったということだ。
きっと、ひとりひとり、みんながそれぞれの“あの頃”を思い出しながら観ていたのだろうな。
もちろん“感傷”と“郷愁”を引き起こさせるばかりのライヴではなく、(桑田さん曰く)「いつも通りのサザン」「伝説にはさせないライヴ」を、ある種の矜持を持って見せていたわけで。
「30年の重み」という言葉も含めて、これが“現在の”サザンだぁーと、しっかり数万人の人に伝えるということをやっていた、とは思う。
で、その「現在進行形のあり方を評価したい」みたいな書き方をすれば、なんとなくほら、音楽評論家っぽくもなったりするんでしょうが、でもやっぱりね、“感傷”や“郷愁”の要素が多分にそこには動かし難くあって、とりわけそうした成分を多量に含んだ曲において特にグッときてしまった……というのが今回のライヴの感動のでどころだったと思うのだ。
そういうのが「重い」と桑田さんは思ってもいるのだろうが、その「重さ」を引き受けてここまでエンターテインするのだから、いやはや大きな人である。
この前も書いたけど、オープニングからの3曲は、僕はラクにユルく聴いていた。
が、これもこの前書いたけど、最初の「青山通りから鎌倉まで」のメドレーに入った途端、グッと前のめりになってしまった。
「いとしのフィート」や「お願いDJ」や「奥歯を食いしばれ」や「ラチエン通りのシスター」や「TO YOU」、「C調言葉に御用心」や「働けロックバンド」(←こういう時代もあったわねー、としみじみ)や「朝方ムーンライト」などなど、浴びるように聴いていたあの頃のアルバム曲やシングル曲がどんどん歌われたからだ。
前の記事でさんざん書いた通り、このあたりの曲から“あの頃の自分”の風景が広がっていったからだ。
もう、このコーナーが自分にとってのひとつのピークなんじゃないかと、このとき僕は思っていた。
が、そうではなかった。
「由比ヶ浜からキラーストリートまで」という、ほとんど僕が聴いてなかった時代のメドレーが終わり、そのあと彼らはストーンズよろしくセカンド・ステージに主要メンバーのみで移動して4曲(3曲だった日もあったようですね)をアコースティック演奏。
このセカンド・ステージはラッキーにも僕らの席からすぐそこに見下ろせる場所にあり、そこに楽器と機材が準備されているのがわかった時点で、ブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーみたいにメイン・ステージからハシゴがビヨーンと伸びてくるのか、それともア・ビガー・バン・ツアーみたいにステージごと動くのか、はたまたキッスのポール・スタンレーみたいにどっかからブランコみたいなのが降りてきてそれに乗ってひとりひとりこっちに来るのか(←んなわきゃない)なーんてことをヨメと考えながら喋っていたら、なんのことはない、車に乗って横から普通に移動(笑)
まあそれはいいんですが、そこで最初にやったのが「涙のキッス」で。
冬彦さんドラマは見てたものの特別な思い入れがあったわけではなかったこの曲でね……僕、自分でも意外ながら、きちゃったんです。ウルッと。
この写真の右のほうに緑色のカバーがかかっているところ。
ここがセカンド・ステージでした。
さらに、メインステージに戻って続けてやった「いとしのエリー」「真夏の果実」「TSUNAMI」という黄金バラード3連チャン。
泣かせコーナーやん、ベタベタやん、と思われる方もいるかと思いますが……はい、まんまともっていかれました。
もう、ウルウルどころじゃなくなってましたからね。
で、ヨコ見りゃヨメもヒックヒック。
そしてさらに追い打ちかけられたのが……新曲「I AM YOUR SINGER」のあとの「希望の轍」。
あのイントロが聞こえたとき、この日の込み上げ度数、最大の数値を記録してましたね。
ヨコ見りゃヨメはもうグシャグシャの泣き顔。
「いとしのエリー」は別にして、それ以外のこれらの曲は、僕はレコードもCDも持ってなかったから自分のプレイヤーでかけたことなくて、テレビやラジオや旅先や友達の車でしか聴いてなかったものだったのに。
なかでも「希望の轍」なんて、僕は『稲村ジェーン』のサントラもちゃんと聴いてなくて、ヨメと知り合って一緒にカラオケに行くようになったらヨメがよく歌ってて、それで覚えたっていうものだったのに。
そういう曲だったのに、まるで自分の青春時代と共にあった曲のように感じられて、ジンときてしまったっていう…。
これがつまりサザン楽曲の、それはもう圧倒的とも言える“郷愁~感傷・喚起力”とでも言うんでしょうかね。うん。
自分の涙に戸惑いながら、改めて、そこの力のすごさを感じた場面であったのでした。
因みに僕の11コ年下のヨメにとっては、まさにこの「希望の轍」こそが、学生の頃みんなで海に行くときに車で聴いたという最大の青春プレイバック・ソングなんだそうで。
つまり僕にとっての「勝手にシンドバッド」みたいな思い出曲なんだそうで。
そりゃあヒクヒクくるのも無理なきことよ。
公演終わって、帰り、下北でカラオケ寄った我らはといえば。
僕はど初期の曲ばかりをガンガン入れ、ヨメは『稲村ジェーン』あたりの頃の曲をガンガン入れ、いいね、サザンは、まだまだ歌いたいね、ってな浮かれモードで帰宅したのだった。
あ、そうそう、カラオケといえばもうひとつ思い出した。
今回の日産スタジアムのライヴ観てて、大勢のダンサーたちの踊りやらスクリーンの映像やら照明やらが演奏と緻密にシンクロして進んでいくそのあたりにも感心したんだが、それより僕が驚いたのは、なんと演奏される1曲1曲の歌詞が全部ちゃんと同時進行でスクリーンに(テレビの歌番組のように)映されていたこと。
つまり、よかったらみなさんも一緒に歌ってくださいというアプローチであるわけで、これはもう世界を見渡したところでどんなロック・バンドもやってないことだろう。
ロック・バンドなのではなく、我々はそういう“みんなの”バンドであるということを引き受けた上での主体的アプローチ。
まさしく、「みんなのうた」であり、まさしく「I AM YOUR SINGER」であるということだ。
さきにも書いたけど、桑田さん、つくづく大きな人だし、つくづく誠実で、責任感のある人なんだなとも思いました。
そりゃあ、少しは荷を下ろす時間も必要でしょうて。
それから最後にもうひとつ。
今回のライヴ、原坊の演奏がなんだかすごくよく思えたんだよなー。
なんか改めて、いいプレイヤーじゃないかと思いました。
それと、最後の彼女のあいさつにもグッときた。
「30年間、ずっと好きなことだけやれて幸せでした」みたいな感じの言葉だったと記憶してるけど、本当に好きなことをずっとやれている人ならではのステキな笑顔に見えて、好きなことをやり続けるということの意味と意義を改めて考えたりもしましたよ。
ここからのメンバーたちのソロ活動、僕は特に原坊がすごく自由に面白いものを作ってくれそうな気がしていて、それ、もっとも期待してます。
はい。これにてサザン編、終了ー。
明日は山中湖行ってきます。
しかし、大丈夫なのか、この大雨…。

