5月11日(日)


渋谷・DUO MUSIC EXCHANGEで、泉谷しげる。



「あなたがもっとも影響を受けたアーティストは誰ですか?」
この質問は、わりとインタビューの定番だ。
もし僕がその質問を受けたらなんと答えるか。
答えは決まっているし、10代の頃からその答えは揺らいでいない。
少しも迷わずに答えられる。


「泉谷しげるです」と。



昔、「any」という情報誌で、僕は初めて泉谷のインタビューをしたのだが、その文の出だしにこう書いた。


「ずっと泉谷しげるになりたかった」。



連続ドラマによく出てていい味出してるおとっつぁん、またはたまにバラエティ番組に出演しては意味なくキレてる暴れん坊オヤジ。
ってなぐらいのイメージしか持ってないという20代や30代の方は多いだろうし、「泉谷になりたかった」というこのニュアンスもなかなか理解しづらいことだろうとは思う。
で、それを理解していただく説明文をここで書き始めてもキリがないので、とりあえず泉谷が残した過去のアルバム(そうだな、名作は多数あれど、どれか1枚と言われれば、やっぱり『'80のバラッド』かな)を聴いてくださいと書いておく程度に留めておくが。



その大傑作『'80のバラッド』を泉谷(さんづけしないで、あえて泉谷と書いてるのは、泉谷はイズミヤだからで、もちろん敬意からくることです、念のため)がリリースした1978年当時、週刊プレイボーイのインタビューで泉谷は「長靴を履いた芸術家でいたい」(「~になりたい」だったかもしれない)と話していて、その言葉は僕の生きる指針になった。


大袈裟なと笑われそうだが、その言葉のほかにも泉谷は、まだ若くてどうやって生きていいのか、どういう方角を向いてどうやって歩いて行けばいいのかわからなくてグズグズしていた僕に、いろんな言葉(歌詞)ややり方や生き方でその方向を示して見せてくれた。


ものすごく青臭い言い方で、いい歳してこんなこと書くのも恥ずかしいのだが……わかりやすく言うなら、僕は泉谷から生きる力とか勇気とかといったものを与えられていたのだった。



リアルタイムで最初に泉谷のレコードを聴いたのは75年の『ライヴ!! 泉谷~王様たちの夜~』で、これはフォーク世代だったおじさんが僕の誕生日だったかに「これ、聴け」とくれた。それですっかりはまった。


76年に『家族』が出たときは、当時の音楽誌『フォーライフ・マガジン』(因みに編集長は森永博志。僕は中学生の分際で何度か買わせていただきました)で大きく取り上げられ、ほかにもいくつかの雑誌が名盤と書いていて、僕も買って最初のうちはずいぶんディープというか大人っぽいアルバムだなと思ったものの、聴き返すうちにやはりズブズブとはまった。ジャケの泉谷のモノクロ写真も強烈なインパクトで、このLPはずっと部屋の棚に飾っていた。


同じ76年の『イーストからの熱い風』は、中3で、高校受験の前か当日だったかに聴いた。
ロサンゼルスの「トルバドール」(イーグルスやジャクソン・ブラウン、JDサウザーらが集っていた名門ライヴハウス)に泉谷が単身で乗り込んでの体当たり公演をライヴ収録したもので、外人客相手に、泉谷の喋る英語は「サンキュー」ぐらい。それでもその荒々しいギターと歌の圧倒的な熱演だけで最後は外人客を興奮させ熱狂させていた。そのドキュメンタリーのような盤を何度も何度も聴き、言葉なんざ関係ねー、要はパワーなんだ、魂なんだ、伝えんとする思いの強さなんだ、それがあればいいんだと僕はわかった。
高校時代は僕の人生最大の暗黒期なのだが、きつくなるとよくこの盤を聴いて、負けねえぞと無理やり自分を奮い立たせていた。



キリがないのでこのへんでやめるけど、こんな具合に、とりわけ70年代半ばから80年代にかけての泉谷のアルバムはすべてこうやってそのときの自分のモードと重ね合わせて思い出すことができる。


そういえば、初めてインタビューしたとき(それは89年作『叫ぶひと囁く』の取材だった)に、上記のことをチラッと本人に話したら、「ずいぶんませてたんだね~」と言われ、なんだかちょっと嬉しくもあったものだ。



ところで泉谷のライヴを実際にナマで初めて観たのはいつだったのだろう…。
覚えてないのだが、『'80のバラッド』が出た78年か『都会のランナー』が出た79年あたりだったと思う。
というのも、80年に『オールナイトライブ』が出ていて、これは泉谷を観る何度目かのライヴだったから。


池袋・文芸坐のオールナイトライヴ。
確かそれは2回か3回やったと記憶しているが、とにかく泉谷の文芸坐のオールナイトライヴほど感動したライヴはない。
今までの人生で僕はどれほどのライヴを観てきたのか、千単位なのか万単位なのか、数えてみないとわからないのだが、「今まで観た全てのライヴの中で、もっとも心に残っているものは?」と訊かれれば、僕は泉谷の文芸坐のオールナイトライヴを挙げる。

夜が明けて、何時間も歌った泉谷の声はガラガラになっていて、最後の最後に叫んだ「負けんじゃねーぞ」というその言葉を忘れない。


言っておくが、安いJ-ポップの「負けないで」ってな上っ面の言葉とは違う。
泉谷は自分と客に「負けんじゃねーぞ」と叫んでいたのだ。


そして泉谷はそれをずっと体現してきた。
この文は一体どこにどうやって着地するのか熱くなって書きながら自分でもわからなくなってきたところだったが、そうそう、言いたいのはこのこと。

ずっとそれを体現してきて、還暦を迎えた今も相変わらず泉谷はそんなモードなのだ。


去年は35周年ライヴで35曲にプラス1曲で全36曲を歌いきり、今回のライヴでも約3時間近く歌い、そしてなんと10月4日にはZepp東京でオールナイトライヴに挑み、(60歳だから)60曲を歌うのだという。


「サンキュー」しか喋れないのに単身トルバドールに乗り込んで外人客を熱狂させてしまう、そのような無謀さは今も何も変わっていなくて、それを結局やりきってしまえるからこそ泉谷なのだ!


あー、長いな、この文。
軽く前振りのつもりで書き出したらこんなんなっちった。
とりあえずここでひとまず切って、この前のDUOのライヴについてはまた明日にでも書きまーす。