9月20日(水)
東京ドームで、マドンナ。
昨年12月にスタジオコーストで行なわれたシークレット・ライヴを別にすると、13年ぶりとなる日本公演。
いろんな人のブログを見ても新聞の評を読んでも、絶賛の嵐。これから出る雑誌とかも間違いなくそういうトーンで、多分、後ろ向きな評はほとんど出ないのだろう。
けど、僕はノリきれなかったんだよなぁ。
正直、マドンナのライヴとしては、初めて期待を下回ってしまった。
いや、この前のシークレット・ライヴがあまりに素晴らしかったので、期待しすぎたせいもあるのだろうけど。
http://ameblo.jp/junjunpa/entry-10007025014.html
こういう感想を持つことになるとは、自分でも意外だった。
まず、マドンナのライヴは初来日から観ているが、今までは必ず何らかの驚きがあったものだ。
フーズ・ザット・ガール・ツアーではステージにベッドが現れ、その上での自慰パフォーマンスに、うわっと思ったり。
ブロンド・アンビション・ツアーでは初めてスタジアムという場にハウスを持ち込んだことに、画期的じゃんと驚いたり。
ガーリー・ショウのツアーではアンコールで(客電がついても)ステージを端から端まで疾走して、そのパワーにやられたり。
この前のシークレット・ライヴでは30~40分という時間が恐ろしく濃密に思えるほど終始踊りながら煽ってて、その圧倒的な気迫にまいったり。
だが、今回は初めて、そのような驚きも意外性も感じられず、何かほとんどのことが想定内といった印象。
ミラーボールから登場といったマジック的な仕掛けの元は、70年代のアース・ウインド&ファイアーに始まり、ジャニーズ系もよく使うタイプの演出だし。
「ライク・ア・ヴァージン」での吊るし芸は、キッスのポール・スタンレーを始め、やはり70年代からハード・ロック系のライヴに見られる演出の応用みたいなものだし。
ブッシュの映像(まばたき)をいじって、おょくるようなことは、エミネムが前のツアーでやってたし。
エイズや飢餓の死者の具体数をドーンと映像にするのは、マッシヴ・アタックもやってたことだし。
イエメンの男性歌手を迎えての中近東フレイヴァは、ピーター・ゲイブリエルやスティングもかつて取りこんでいたし。
物議を呼んだ「リヴ・トゥ・テル」での十字架はりつけ演出は、そもそも自身の「ライク・ア・プレイヤー」のPVでやってたことだし。
まあそんな感じで、「なんか、どっかで観たな」感が終始つきまとってしまっていたのだ。
あのマドンナなのに。常に先を行ってこその人なのに。
以下、疑問点・不満点をいくつか挙げると。
東京・大阪とも、大抵1時間前後(この日は約50分)遅れての開演だったようだが、これは意図的な“じらし”なのか。
わからないが、そうだとするなら、ちょっと……ねえ。
合コンに意図的に遅れて登場する人みたいで、あまりいい感じはしない。
いろんな人のブログを読むと、「洋楽の大物のコンサートって、こういうのが当たり前なんでしょうか」みたいに書いてる人が何人かいたが、そんなことはないですから。
前半の演出のテーマは「馬」。
自らの落馬事故から着想を得たようで、落馬シーンの映像に加え、事故の時のレントゲン写真までをどーんと映し出す。
けど、これ、アートとして見るべきなのか、自虐ユーモアと受け取って笑えばいいのか、受け取り方に困る。提示の仕方がどっちつかずなのだ。
忍者のように跳ね回るダンサーたちのパフォーマンス。それ自体は凄いが、主役のマドンナに絡むのではなく、歌っているところから少し離れたところで跳ね回るので、観るこちら側の集中力が分散してしまう。
まあ、これはあえてそうしているのだろう、きっと。
これ、けっこう大きなポイントだと思うのだが、今回、僕は今までのマドンナのライヴと比較すると、彼女はそんなにパワフルに踊ったり動いたりしているようには見えなかった。
いや、動いているように見せてはいるが、よく見ると省エネというか。ちょっとした動きをいかに大きく見せられるか、それが考え抜かれているのだ。
それを不満に思っているわけではない。むしろ、巧いなと感心する。
感心するが、しかし同時に、さすがにマドンナも年を重ねているのだなというふうに感じたのも確か。
大抵の人が「48歳なのに、あれだけ動けるなんて」みたいな褒め方をするが、僕は逆に、初めてマドンナを見ながら,年齢のことをしみじみ考えてしまった。
そして、改めて、それより約10も上なのに一切のごまかしなく、完全に己の肉体だけで全てを受け止めているミック・ジャガーという人の凄さについて考えたりもしたのだった。
あと、前半は特に説教臭く感じてしまった。
演出の全てに意味性を持たせていて、それをきちんと読み取りなさいと言われている感じ。
だから、ん? あれってこういう意味なんだよね、こういうメッセージなんだよねと、自分はちゃんと読み取れているのか、それが正しいのかどうか、不安になったり、確認しあったりしなくちゃならないという面倒が出てくる。
最後、マドンナが腰をラジカセだったかなんかに押し付けてクイクイってやって、それでバーンとたくさんの風船が飛び出したのは、あれはスペルマを意味してるんだよねぇ、ってことはみんなスペルマ風船を持って嬉しそうにしてたんだよねぇ、でも、エイズについてあれこれ言ってたことと、この演出の意図とは、結びついてんの? 逆なんじゃないの? ってなことを終わってから僕らは話題にしてたのだが、その答えもマドンナ様のみぞ知るみたいなところがあって。
なんかなぁ。
僕は、音楽家ならメッセージも音楽に込めればそれでいいのにと思ってしまう。
それもあって、これだけメッセージを打ち出しながら、肝心の「アメリカン・ライフ」を外したことも、ちと腑に落ちなかった。
といったわけで、僕が今回、理屈抜きに「やっと楽しくなってきた!」と感じられたのは、最後のディスコ・クイーン・パートから。
「エヴリバディ」から「ミュージック」の繋ぎと、「ラッキー・スター」から「ハング・アップ」の繋ぎ。
ここでようやく開放感があって、素直に踊れるようになった。
ここまで、ホント、長かった。
や、中盤のロック・セクションで「レイ・オブ・ライト」をやったときに、「キタ~!」と一瞬喜んだのだが、そのあとまた重いムードになったので。
本当に最後の最後で、理屈なしに、音楽そのものの力で楽しめるようになったのだ。
DVDになって観直せば、感心する部分もきっと多いのだろう。
が、「ライヴとして」絶賛する気には、僕はどうもなれない。
僕はもっと音楽そのもので楽しくなりたい。
そして、その欲求は、翌日見たバズコックスのライヴで大いに満たされることになったのだった。
『I'm Going To Tell You A Secret』(ワーナー)
「アメリカン・ライフ」のライヴ・テイクが凄まじい。
聴きたかった……。