アンジェラ・アキの記事が続いたところで、さらにもう一回。
6月にリリースされるアルバム『Home』に対するみなさんの期待感を高めるために。そしてまだ彼女のことをよく知らないのでどんな人なのか知りたいという方のために。
ここに、デビュー・シングル「HOME」がリリースされる際に書いたプレス・リリース用の原稿のオリジナル・ヴァージョンを掲載したいと思います。
これは当初、一度書き上げたものの、文字数の都合でやむをえず歌詞に関する部分などをばっさりカットし、その上で使っていただいたもの。しかしながら、そのカットした部分も自分ではけっこう大事なところだと感じていて、機会があれば発表出来ればいいなと思っていたものでした。
それから1年近くが経ち、その後リリースされたアンジェラの新曲群やアルバムの音などを聴くにつけ、そしてライヴを観るにつけ、改めてこの「HOME」という曲が今のアンジェラの最重要曲に思えてきて……。
なので、アルバムが出る前に、今この段階でやはりこれは読んでいただきたいなと、そう思ったのです。
改めてアンジェラ・アキという優れたシンガー・ソングライターに「出会って」いただける、そのちょっとした機会になれば幸いです。
では--。
Home。
この言葉、大抵の日本人はまず頭の中で単純に“家”と変換するだろう。
が、“郷里”“故国”といった意味もあって、国外で暮らしたことのある人ならむしろそっちを第一の語意と考えるほうがスタンダードだ。
ふるさと。
この言葉は、漠然と“生まれ故郷”--生まれた地のことと考えがちだが、改めて辞書(岩波国語辞典)をひくと「その人に、古くからゆかりの深い所。生まれ(育っ)た土地や以前に住み、またはなじんでいた場所」とあり、つまり出生地とは限らない。
あなたのHomeは? あなたのふるさとは?
その質問の答えには、だから自ずとその人の物語が付随する。
人生とかドラマとか、そういうものが反射鏡の光のように写り込む。
アンジェラ・アキは、日本人の父親とイタリア系アメリカ人の母親のもとに徳島で生まれ、岡山、ハワイ、ワシントンD.C.、東京と移り住んできた。
テレビも見ず、いつも妹と山で遊んでいた徳島の幼少時代。
初めてバンドを作って、作曲をしたりもしていた岡山の中学時代。
サーフィンやってアイスクリーム食べてと、ハワイっコとして青春を謳歌していた明るい高校時代。
東海岸の文化に触発され、オルタナティヴ・ミュージックにはまり、サラ・マクラクランのライヴを観て音楽家として生きる決意をしたワシントンD.C.の大学時代。
東京に住んで音楽活動をしている今、それらを振り返って、「私の人生、すごくハッキリと時代ごとに分かれてますよね」と笑う。
「その場所その場所が全部自分にとって大事な」ところだから、「ふるさとはどこって訊かれても答えるのは難しい」と言う。
が、それでも彼女のふるさとはやはり厳然と、ある。
「ふ~る~さ~と~」と歌われる声を聴いた瞬間、その景色が僕の目の前に鮮やかに立ち現れるのが何よりのその証左だ……などという書き方はいささか情緒的に過ぎるのかもしれないが。
「去年、私がハワイに戻ってた時にこの曲が出来たんです。母が今、ハワイに住んでいるので。そこには私が高校の頃から弾いてるピアノがあって、そのそばにおばあちゃんの仏壇が置いてあって。おばあちゃん、ハワイが好きだったから。おばあちゃんっコだったんですよ、私。ウチは田舎だったので10何年もおばあちゃんの畑仕事を手伝ったりしてたし。で、ピアノに向き合っていたら、“寂しさが染み付いた夢の無い夜には あなたを呼んでいる”ってところがふっと出てきて。それはおばあちゃんの写真を見ながら出てきたんですけど、でも、それだけじゃなくて……。なんていうんだろう、人間って孤独な時に心が何かを欲するじゃないですか? それは愛だったり、思い出だったり。だからおばあちゃんの写真を見て過ぎ去った昔を思い出すというよりは、今でもあるどこかの場所を思うというか。安心できる場所。ピースフルな場所。私のふるさとは、徳島や岡山やハワイもそうだけど、それよりそういう“心の場所”でもあるんだなぁって思って」
因みにいつもはメロディが先に出来て歌詞があとという作り方だが、この曲の大半は言葉とメロディが対になって出てきたそうだ。
メロディが言葉を補うものとしてあるのではなく、まさに伝えんとする言葉の情感そのものを表しているのは、そのためだろう。
歌とはそもそも聴く人がその人なりにイメージしながら自由に同調・共鳴すればいいもので、この曲はまさにそうできるものとして優れているのだから、これ以上歌詞についてここで掘り下げようとする自分は野暮天だ。
それを承知した上で、少しだけ。
“野心と愛の調和がとれず 誰もが彷徨っている”という一節。
「自分の夢を叶えるために誰かを踏み潰してしまったり、誰かを愛することとの調和がとれなくなったりする。っていうのは、なんか都会の象徴ですよね」とアンジェラは言う。
それに対して次の“飾らなかった誠実な日々”が、ふるさとの同意語としてそこに続く。
都会とふるさと。大人になった自分とあの頃の自分。
ただし、あの頃はよかったと単に懐古しているわけでも、大人になった自分を否定したいわけでもないことは、“過去と今の間のとばり”という置き換えに導かれて出てくる一節から、わかる。
もうひとつ。
“Home is Calling”。
英語で歌われるそれは、“ふるさとが呼んでいる”。
が、日本語では“ふるさとを呼んでいる”。
その両方の違いを実に自然に英語と日本語で歌い分けているのが、巧い。
また、“Home is Calling”という滑らかな英語発音の直後に、“ふ~る~さ~と~”とくるその部分などは、意識的な構成ではないのだろうが、まさに日本とアメリカのダブル・スタンダードをもつ彼女の個性のユニークさが表現されているように僕は思う。
言葉の強さ。
メロディの強さ。
ピアノの強さと、歌の強さ。
繋ぎとかテクニックとか、そういうのとは違う純度の高さ。
魂という言い方に置き換えてもいい。
つまり、言葉にもメロディにもピアノの音にも歌にも、その全てに魂が込められているという、そういう1曲「HOME」。
デビュー曲は派手めのアップで、2ndシングルでさらに畳掛けて、3rdあたりで泣きのバラードを……といったマーケティング・プランをよくレコード会社は立てるが、アンジェラ・アキという“消費物とは種類の異なる”歌をうたえるアーティストにそのような小賢しい戦略は無用だし、自らの出自も示したこのようなタイムレスなバラードがデビュー曲になるというのは、実に正しい。
実はアンジェラの作風がかなり多様であることは、例えば曲調も歌詞のスタイルもまったく別方向のカップリング曲「奇跡」を聴くだけでわかっていただけるだろう。
が、そんな中でも、この表題曲「HOME」は恐らく彼女がこの先何年も歌い続けていく代表曲になりうるものだし、いろんな歌、いろんな音を試したあとにも、いつも帰ってこれる歌、もっと言えば帰るべき歌……そう、タイトル通り、まさしくこの歌が「HOME」になるに違いない。
(2005年6月・記)
