親族や近所の人から頼まれたモノを
買っていたら
カートが大量になった
すると見知らぬ人に
「買い溜めするクソ女」
と言われて、哀しくなった
その人が
こんなことを発信していた
(注・少し前にみつけたコラムです)
↓
私は1つの商品棚も空にしたりしませんでした。
私は何1つとして、誰かから取ったりしませんでした。
私は頼まれた買い物リストの物を買っていたのです。
私たちは人々に対して、あの人は他者を不公平に扱おうとしていると考えるより、最良の目的があるのだろうと憶測したほうがいいと思います。
私たちはほかの人たちの事情を知りません。彼らがどんな経験をして、どんな苦労をしていて、どこへ向かっているのか。
助けてくれる人たちを探してください。彼らはいつでもそこにいます。
お互いに親切でいましょう。
Stephanie Rhymer Whitaker ーより引用(和訳)
わかる!
わかるわー!
でも 少し前まで 私は
攻撃する側だったかもしれない
恐ろしい
反対側にならないとわからないことってある
想像するチカラって大切だと思う
PTA総会とか説明会とかで
マイクを持って説明する人が居る
それを聞く大多数のママたちも居る
慣れない進行に
こんな声が聞こえてきた
「もっと、こーすればいいのに
あーすればいいのに」
「声、聞こえない…ブツブツブツ」
後ろに座るその人たちの文句を
友達M子が聞いていて
私にそっと、こう言った
「前に立たないと、前で喋ることの大変さは分からない。後ろで座って聞いている側では想像できないんだろうなぁ…想像力の欠如」
何かというと
彼女の この言葉を 思い出す
想像力の欠如
それからというものの
街でクダを撒いている
明らかにおかしな人にでさえ
「きっと辛い何かがあったんだろう」と
思っている
聖人か
でもさ
そんな風に思えば そんなに腹がたたない
だから
オススメよ
普段 仕事で ペコペコしてる人に限って
客の立場になった時に、逆に高圧的だったりさ
みんな
いろいろ事情があるから
自分の心に余裕のある時くらいは
それを呑み込んであげる
聖人になるようにしています
( ͡° ͜ʖ ͡°)/
ちなみに また別の日も
M子は聖人だった
確か、その時は大切な話を聞く会だった
…と記憶している
そこへ、小さな子どもを連れてきて
自由に走らせている人が居た
私はイライラしていた
その子のドタバタで
話が聞こえなかったから。
その時、彼女は、一言、こう言った
「まぁ、お元気。」
子どもが元気でなにより
というようなニュアンスだった
彼女に一生ついて行こうと思った
それからというもの
私は うるさい子どもを見ても
腹が立たなくなったし
その親にも「大変だよね」という
労りの気持ちを持つようになった
そうだよな
その親だって
みんなの迷惑になってるの
わかってる
その子どもを連れて
外に出ろ!って?
あなた、一人でここに来られてるだけ
良くない?
そんな大変な時期、
あなたにもあったでしょう?
思い出してよ
想像してよ
みんなで助け合おうよ
…と思えるのは
私の子育てが終盤だからなんだよな
…で、今、想像するチカラを発揮する時
〝もともとやってないし〟も含めれば
私は9個
少し前までは7個でした
セルフロックダウン
( ´∀`)/