次女のことを綴りたいと思います。
お付き合い頂ける方はどうか読んでいただけると有難いです。
ただタイトル通り、次女の最期まで書かれているので、不快になりそうな方はUターンでお願いします。
こうして伝えられるような気持ちになったのもここ最近のことで、周りの方にもやっと徐々に話せるようになってきました。
ただまだ、次女がNICUにいた頃に看護師さんと交わしていた、写真付きの交換日記を見返す事が出来ていません。だから看護師さんに書いて頂いた最後のページはまだ見れていないです、、、
次女は2019年10月夜10時18分に、民間の産院で40週と3日3,404グラムで誕生しました。普通分娩で分娩時間は4時間27分。
産まれた時は大きな産声が聞こえました。
でもそれもその一度だけ
そこからは先生も助産師さん達も慌ただしくなり、次女に吸引や刺激を与えるなど何か治療を始めました。
どうも上手く呼吸が出来ていないようです。
私は分娩後ってこともありハイ状態で思考がまだ働いてなく、目の前で一体何が起きているのか理解できない状態でした。
そしてその後助産師さんから
「陽水が肺に溜まってしまっているようで、今それを取り出してます。帝王切開なのでもよくある事なので、、」
との事でした。
そうなのか、良くある事なのか、、、
少し安心し、私は私で胎盤など取り出したりと、出産後の処置を終えて一旦部屋に戻ることになりました。
そして30分後くらいにナースセンターに呼ばれました。
そこには先生が待機していました。
「赤ちゃんに陥没呼吸の症状が出ていてあまり状態がよろしくないです。これ以上ここ(産院)では診れないので、大学病院に搬送させて頂きます。」
と告げられました。
するとしばらくしてドクターカーが病院に着き、応急処置がされ、娘はそのまま大学病院のNICUへ搬送されていきました。
私は出産後ということで見に行くことは出来ず、夫が一緒に向かいました。
そして深夜に夫は戻ってきました。
娘は肺に血が混じっているのが確認され、呼吸困難はそれが原因かもしれないとのことで、薬の投与で血を分解する治療をして様子を見ることになったそうです。
そして翌日私も大学病院へ向かいました。次女に会う前に面談室に呼ばれ、先生のお話がありました。
「娘さんの肺に溜まっている血を取り除いてもまた増えてしまう。チアノーゼも出ており酸素レベルが低く、症状的に『新生児遷延性高血圧症』が考えられます。肺の血液が流れる静脈が細く、それにより血圧が高くなり肺に酸素が充分に行き渡らない状態です。治療としまして人工呼吸器で圧をかけて酸素を送り、一酸化窒素を併用して静脈を開いて高血圧を軽減させていきます。」
また原因として分娩時の産道を通るストレスが原因とも考えられますとのことでした。
その後次女がいるNICUへ
次女は口から呼吸器が挿管されており、とても痛々しい状態でした。また薬の影響で顔に浮腫みがありました。
涙が止まりませんでした。
私は自分をすごく責めました。分娩中のあのいきんだ時が悪かったのか、力を抜いたあの時が悪かったのか、分娩の時の状況が頭から離れませんでした。
そしてそれからは毎日、次女の様子を見に大学病院へ通いました。また1人残された産院もここにいても虚しくなり、3日で退院させていただきました。
この時点でもまだ、現実を受け入れられてなかったです。
ただとにかく早く人工呼吸器が取れることを願って、その日その日のモニターに出ている酸素濃度や一酸化窒素の量など常に気にして見ていました。
入院当時、次女は鎮静剤で寝かされていましたが、段々慣らしていくために、鎮静剤を減らし目を覚ましてくれる事も増えてきました。パッチリ目を開け、見つめられる時は何とも言えない気持ちになりました。
そして何か訴えているようにも感じました。
辛いのかな〜
助けて欲しいのかな〜
管とか外して欲しいよね、、、
こんな目の前にいるのに。この子を抱きしめてあげることすら出来ないのか、、、本当に辛かったです。
その間も頻繁に痰が溜まり、たん吸引されるのですが、本当に本当に辛そうで可哀想でした、、、
その後は、呼吸器の条件を変えたり、また窒素の量が下げたり上げたり、送っている酸素を下げてみたり、しばらく一進一退の状態が続きました。
本当にこれは現実で起きているのか、なんで娘がこんな目にってそんな気持ちを抱えながら、快復する事を願っていました。
入院して10日過ぎた頃、先生から
「今日から母乳を少しずつあげてます」
と言われました。チューブから2ccずつを1日8回から進めていって徐々に様子をみて増やしていくそうです。
母乳は出産後から毎日ずっと搾乳して、冷凍して届けていました。私が出来ることは本当に限られていました、、、
2cc、、、
それだけでも母乳をあげる事ができることに、すごくすごく嬉しかったです。3,404グラムで産まれたのにすっかり細くなってしまった身体。少しでも母乳でふっくらして欲しいと思いました。
その日から日毎に、母乳の量は微量ですが増えていきました。それだけでも前進してるって思え嬉しかったです。母乳の栄養で良くなれって祈ってました。
そんな状況と毎日の酸素濃度、窒素、呼吸器の圧の数値との睨めっこな毎日を過ごしました。数値も入院当初から見ると落ち着いているようにも見えました。
そしてそんなある日のこと
先生から
「峠を越したようです」
と伝えられました。
私はもう涙が溢れました。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
良かった、良かった。本当に良かったです。ヤマを超えたようです。
これであとは、もっとこれから徐々に快復してくれるのだとそう思っていました。
しかし
次の日のことです。
先生から、レントゲンを取ると白い影がまた現れていると言われました。
「明日CTを撮ってみます」
とのこと。
この日から肺を柔らかくする薬と炎症を抑えるステロイドも強く入れることになりました。
一度外していた窒素も復活となりました。
そしてCTの結果が出ました。
「○○ちゃんは間質性肺炎の疑いがあります」
肺炎?そこまで深刻に考えないでいいのかな〜と思いましたが、先生から
「間質性肺炎とは、炎症で肺の肺胞の壁が繊維化され厚くなり息苦しくなり咳が出たりしますし、悪化すれば呼吸不全も起こします。薬で進行を遅らせたり軽くすることは出来ますが、完治させることはできません。。。また遺伝的にはお父さん、お母さんの家系からも考えられないので、おそらく7割がた受精時にできた突発性だと思います。また入院当初に診断した新生児遷延性高血圧症もこの間質肺炎からの合併症だと思います」
と、、
その内容をまともに理解することはまず出来ませんでした。また稀すぎてかなりの確率で発症してしまったそうです、、、
先生、また何を言ってるの?
これ以上何を言ってくるの?
完治しないって何?
この前、峠を越したって言ったよね?
これ以上次女は何を頑張ればいいの?
とにかく
全部ウソと言ってーーー
私はその病気について、まともに捉えることができず、とにかく治ってくれることだけを信じて、それからも通い詰めました。
痰が溜まったり、息苦しくなると機械が察知して、モニターから大きなアラーム音が響き渡ります。何人か赤ちゃんはいましたが、その音がなるのは次女だけです。中では次女だけが沢山の機械や管や薬が取り付けられていました。NICUに向かう途中でもその音がすぐ聞こえてくるのですが、本当にとても辛かったです。
肺を柔らかくする為何種類のステロイドを試して、次女に適した薬を探りながら投与されていきました。
この頃から、次女は泣くと血管が閉まり息がしにくくなることがありました。
その為、血管拡張剤も投与されていました。
あかちゃんって泣くものなのに、、、
それも許されないなんて、、、
神様って本当に本当にいるのですか
完全に直すためには、肺の臓器移植しかないとも言われました。ただ次女のような新生児への提供できる臓器は少なく、もちろん大人の大きさでは新生児には無理で、先生からも現実的には難しいと言われました。
そうだろう、、、
移植なんてこちらの要望でできるものでもない
ただ私の肺とすぐにでも交換してあげたかった
お金ならあるだけいくらでも払うから、私が出来る事なら何でもするから、どうか娘を助けてください
お願いします
それでも小さな身体は頑張って生きてくれていました。母乳は1回につき50ccまで増えていました。私も搾乳を毎日必死にし、母乳が増えていることだけが救いでした。
人工呼吸器は相変わらず外せませんでしたが、自己呼吸で酸素濃度も100をずっと保つこともありました。
このまま診断が間違っていたって、治ってくれないかな〜
とにかくいい風に考えないと自分自身のモチベーションも保てませんでした、、、
先生自身も、寝ていらっしゃるのか心配になるくらい、私たちが通う度にNICUに待機されていました。
そんなまだまだ不安定な日々が続いたある日
夜の11時30分頃でした。
自宅に電話がかかってきました。
嫌な予感がしました。
大学病院からでした。
夫が出てくれました。
次女が危篤状態になったとのこと
すぐにNICUへ向かいました。
次女に会う前に看護師さんに呼び止められ、そこに先生がいました。
先生は涙で目が真っ赤でした。
そして
「先程、また大泣きした時に血管に圧がかかってしまいそれにより心臓に負担がかかり、心拍が停止してしまいました。
今、蘇生治療が行われています」
と。。
とにかく早く次女に会わせて欲しい!!
次女のところへ行くと先生、スタッフに囲まれ、次女は沢山の管を取り付けられ、心臓マッサージがされていました。小さな身体に大きな手で押されていました、、、
モニターの線はずっと下の方を小さく波打ってました、、、
「もういいです、もういいです、もう大丈夫です、ありがとうございます、、、」
震える身体から何とか言葉を絞り出して言いました。
とにかく早く抱きしめてあげたい
とにかく管とかを外してあげたい
そしてそのまま静かに心臓マッサージは終了しました。
0時45分
次女の死が告げられました。
死因は、突発性間質性肺炎に伴う新生児遷延性高血圧症
次女を抱きしめてあげました。
やっとやっと抱きしめてあげれました。
まだ温かかったです、、
静かなNICUで次女を抱きしめ、ずっとずっと私たちは泣き崩れました、、、
こんな残酷なことってあるの
世の中こんなに辛いことってあるの
お昼の時には目も開け、見つめてくれてたよ
なんで、なんで、
とにかく抱きしめ泣き崩れました。
夫はこの時初めて、涙を流しました。
それまでどれだけ辛くても、頑張っている次女の前では絶対泣くまいと決めていたそうです、、、
そしてそのまま初めて病院で沐浴をしました。
まるで生きているような顔をしていました。
気持ち良くて、今にも目を開けそうな、、
いつも裸ん坊でオムツだけの姿だった
早く可愛いお洋服を着させてあげたい
次女は、32日間
生きてくれました。
でもそれは次女にとってただの辛い苦しい日々で、それが本当に次女にとって良かったのか、、
それを考えるととても辛いです。
ただただ生かされているだけの状態だったのでは、、
今でも思い出すのは、見つめてくれた大きな目に、ちゅぱちゅぱしていた小さなお口と、握りしめてくれた小さな手。そして病気と闘った小さな身体、、、
伸びた爪を切ってあげたね
綿棒で耳の掃除もしたね
手のマッサージもしてあげたね
ママとして直接やってあげれたのはそれだけ、、
パパ、ママって分かってくれてたかな
本当にごめんね
元気に産んであげれなくて本当にごめんね
天国にはじいちゃん、ばあちゃん、そして私のお父さん、ワンちゃんのムギちゃんがいるから、安心してね
次女をしばらくどうかよろしくお願いします
私もいつかはそっちにいくからね
パパとママのところに産まれてきてくれて本当にありがとう
愛してるよ