21歳の春、初めての『心療内科』に行った


母親が、『僕と父親』について詳しく説明を


してくれた。


主治医から、ご自宅に戻られてからお父様に


お伝えくださいと言われた言葉…それは、


『息子さん』は、『鬱病』です。


だったけど、父親は、『病は気から』だと


言い切った。


そして、僕なりに考え出したのが『演じる』


『演出』って、方法だった。


父親の前では、要望通り…


いつも『ハキハキ』と明るく『ニコニコ』


そして、父親の顔色を伺いながらの生活が、


始まる。


父親と一緒に、『建築現場』での仕事の際、


周りの職人さん達は、社長のとこ息子さん、


若専務が居て良いですねって言われても、


父親は、『コイツは駄目ですよ。』


『使えない。』


時には、大勢の職人さんの前で父親に殴られ


周りの職人さん達が、『息子さんに手だけは、あげてはいけない』と言う場面があっても、これは『躾』と言われ、僕は…子供時代から、今年46歳になりますが、父親が怖い

です。


22歳の時に、お付き合いしてた女性は6個上


24歳の時に、お付き合いしてた女性は1個下


この女性と別れたあと、僕は自宅から逃げるように、『長野県安曇野市』に派遣の仕事で

行きました。


もう、上の人間に使われたくない。

だから、ライン管理者になると派遣会社に

お伝えして、目標3ヶ月でしたが、半年

かけて『ライン管理者・製造業』になり

ある日、僕が担当するラインの女性から

もし良かったら『付き合って欲しい』と

言われたのですが、仕事が軌道に乗るまでは

『仕事に集中したいです。』


申し訳ないですけど、ごめんなさい。


ってお伝えして、その翌日の朝会社に出勤


したら、『自称…女極道』に、2人組の女が


現れて『昨夜の落とし前つけろと言われた』


のです。


会社帰り、歩いて帰宅途中に…猛スピードの


軽自動車が接近して来て、身柄を拘束され、


気がついた時には、『性的虐待』終了後


でした。


この2人は、普段薬物(覚せい剤)使用


が、頻繁だった為に、力が強すぎて…僕は、


抵抗出来なかったのです。


今は、知りませんが当時は『派遣会社』なら


どんな人も採用するって、『派遣会社』が


ありました。


僕は、今でもよくわからないですけど、


『ポン中って何?って、状態でした。』


長野県から、脱出しないと…やばいと思い


次を、考えていた。




今朝の『ポケカラ🎤SMAP  Dear  Woman』