コメの返信、出来ず、申し訳ありません‥m(._.)m
今日初七日を迎えて、一区切り‥と、言ったところでしょうか‥
今日までの1週間‥やることに追われて、泣いてばかりもいられず、あっと言う間に過ぎてしまいました‥





でも、じゅんじゅん元気です

本当なら、先週土曜日に、外出に連れ出し、退院の準備をするはずでした‥
でも、外出出来るかどうか、微妙なところであることは感じていました‥
その1週間くらい前から、食事を受け付けず、大好きなコーラも飲めなくなっていたので、目に見えて弱っていく父を励ますことしかできませんでした‥





その1週間前、22日には、主治医と娘2人と四人で話がしたいと、父が希望し、四人で話す機会を設けました。
父は‥
もう頑張れない‥
延命はしないで欲しい‥
それを伝える為に主治医と娘2人を呼んだのでした‥
その後、栄養の点滴はするが、延命はしない‥という結論になったのです‥
今でもそれが良かったのかどうかはわかりません‥
そんな中、私は、父に、自分がガンの手術をしたことを伝えた方が良いのではないか‥と、考えるようになっていました。
父が頑張っていたから、自分も頑張れたことをどうしても伝えたくて‥
妹に相談したら、賛成してくれ、24日に初めて話しました‥
この前の手術は甲状腺ガンの手術だったんだよ‥じーちゃんが頑張っていたから、私も頑張れた‥だから、じーちゃんも頑張って、ばーちゃんの分も生きて‥先生はもう、頑張れと言えないって言ったけど、私はもっともっと言うから‥
頑張って頑張って生きて生きて生きて‥
と、伝えました‥
父は‥そうか‥で、手術費はいくらかかったんだ?お金はあったのか?と‥
やっぱり親ですね‥
娘の手術費の心配をしてくれました‥

まさか、こんなに早く亡くなるとは思ってもいなかったので、わざわざ話さなくても良かったかな‥と、今になって思ったりしています‥それに、もしかしたらわかっていたのかも知れませんね‥
その後、眠る時間が増え、テレビを見ることも無くなり、呼びかければ返事はする‥という状況でした。
29日に外出出来ないことになり、用事を済ませて、病院に行くと、突然の看護師さんの言葉‥
今日はどなたか付き添って泊まった方が良いと思います‥
えっっっ???そんな状況なの?と、いう思いでしたが、迷わず妹と泊まることに。
30日午前11時52分に亡くなってから、その日の記憶があまりないくらい、バタバタと色々なことが決まっていき、1日のお通夜、2日の告別式、滞りなく無事に終えることができました‥
みんながそう言ってくれたのが、救いでした‥
うちは娘2人で、妹が婿養子をとって、実家で同居していたので、喪主は妹のダンナ‥
きっと今、母に会い、娘たちの愚痴を言ってる頃かも知れませんね‥
両親共、天国に行ってしまいました‥
そう、泣いてばかりはいられません

うん、じゅんじゅん元気です

皆さん、これからまた明るく元気に頑張りますので、よろしくお願いしますm(._.)m