地デジ 対応に遅れを取った我が家
 
3台のTV 地デジ対応は1台のみ 
寝室はブラウン管のTV もはやモニター機能のし
寝るまでの退屈しのぎは、ビデオ鑑賞。
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昨日は『鴨川ホルモー』
 
 
 
私的に、幼少時の日課は五条から賀茂川か高瀬川を御池まで魚を探りながら北上する事!
    初勤務は烏丸御池の事務所。初担当は京大病院。京大は角から角まで知っているし、付近の寺    仏閣は、お昼寝場所。鴨川ホルモー本当に感慨深く楽しみました。
改めて、オドロオドロシイ京都盆地に魅せられているんだな~と再認識も致しました。京都でも河原町五条・山科・六地蔵・岩倉・西院と六ヶ所に居を構えた事がある私ですが・・・一番思い入れがあるのが、牛若丸でお馴染みの「鞍馬~花背」。可能ならば・・・終の棲家を構えたい。 それ以外では、陰陽師・安部氏の所縁の地。
 
京都には多くのスピリチャルなスポットがあるが、清明所縁の地は多い『清明の墓(嵯峨野)~土蜘蛛塚(北野天満宮・西隣)~百鬼夜行商店街(北野天満宮南)~清明神社一条戻橋~白峯神宮(堀川今出川東入)~神田明神「将門の首さらし場」(四条烏丸西)
 
平安時代の天才陰陽師として名高い、安倍晴明。陰陽師には、二面性があるとされます。
一つは中国伝来の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)によって天体を観測したり暦を作成する科学者的側面。そしてもう一つは、式盤を使って吉凶を占ったり、自在に式神(陰陽師の意のままに動く鬼神)を自由に操る呪術師的な側面。活躍期には、住居を京の都の北東(京都市上京区・現晴明神社)に構え、晴明は都に侵入する鬼を防ぐ役割を果たしていました。そして、花山天皇、藤原道長を始めとする貴族に重く用いられ、寛弘2年9月26日(1005年)、85歳でこの世を去ったとされています。
陰陽師の賀茂忠行に高い評価をされて、優秀な陰陽師として時の権力者に重用され今も尚足跡を多く残す安部清明ですが・・・・その晴明の父の保名を殺害したとされる一番のライバル『蘆屋道満(あしやどうまん)』
 
実は私近年、播磨国で暮らしております。地域史をみていると・・・道摩法師『蘆屋道満』に興味を持ち、足跡を辿り先日もお墓参りしてきたところ。
道摩法師(どうまほうし)は平安時代の播磨国(現在の兵庫県)の民間陰陽師集団出身ともいわれる。
晴明に勝るとも劣らないほどの呪術力を持つとされ、安倍晴明が藤原道長お抱えの陰陽師であったのに対し、蘆屋道満は藤原顕光お抱えの陰陽師であった。道満は藤原道長の政敵である左大臣藤原顕光に道長への呪祖を命じられたとされる。伝説として道満が上京し晴明と内裏で争い負けた方が弟子になるという呪術勝負を持ちかけたことにより、帝は大柑子(みかん)を16個入れた長持を占術当事者である両名には見せずに持ち出させ「中に何が入っているかを占え」とのお題を与えた。早速、道満は長持の中身を予測し「大柑子が16!」と答えたが、晴明は加持の上冷静に「鼠が16匹」と答えた。観客であった大臣・公卿らは中央所属の陰陽師である晴明に勝たせたいと考えていたが中身は「大柑子」であることは明白に承知していたので晴明の負けがはっきりしたと落胆した。しかし、長持を開けてみると、晴明が式神を駆使してに変えてしまっており、中からは鼠が16匹出てきて四方八方に走り回った。この後、約束通り道満は晴明の弟子となったと伝えられている。
 
圧倒的に評価が高いのは清明ですが・・・判官ひいき&播磨びいきで「道満」を盛り上げていきたいひだぶーです。鴨川ホルモーでも、芦屋の強さは秀逸!比べて、安部はへたれで結局オネエちゃんに助けて貰っただけ!
 
阿倍晴明伝説が全国的に拡散したのと同様、蘆谷道満伝説も大規模に拡がっており、それを踏まえて『万城目学』ワールドに練り直した青春ファンタジー小説でした。
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次は『プリンセス・トヨトミ』期待できますね