この言葉は
この行動は
この思考は




愛からのものなのか?

エゴからのものなのか?

思い込みから無意識に発しているものなのか?



ここのところ、
そんなことを考えさせられる事案が
続けて発生中。


ショックだった。





初めての方とランチ






自分にとっての当たり前の普通のことは、

そこに当たり前に普通に存在しているので

空氣のように自然で、なかなか氣付きにくい。
いや、氣付くことが難しい。


指摘を受けて、
ハッとして、恥ずかしくなる。

トラブルになって、落ち込む。



でも(^^)
「これは学びを活かせる場面だよ?」と
自分に伝えられるのも、最近の私です。





photo by 斎田将一さん




そんな冷たい人間じゃない!
と焦る自分。

冷たいのは悪いことなのか?
そもそも、それって、冷たいことなのか?



「氣がきかない ダメな私」
という思い込みはずっとあって。
それをダメだとしているから、
焦って無駄に氣を使ってきた。


でも、焦っている時点で
視野が狭くなり、良い考えも浮かばず、
結局のところ、
ものすごく氣がきかなくなっているという
残念な状況を作り上げてしまってきた。



◎人に頼れない(→人は1人では生きていけません)
◎自分で頑張ってやる(→オイ、頑張るは自分全否定ですよ)
◎迷惑をかけることはダメなこと(→結果、割り増しで迷惑をかける結末を生む)
なかなか抜けきれない頑固な思考です💦



心の根底のところに、
クールな私が存在するようです。
そんなこと思いもしなかった。


でも、
無意識に自分はそれを知っていて

嫌われてはいけない、とか
周りに合わせられないわたしはおかしい、とか
女性としての品がない、とか

それを周囲の人に感じさせないように
振る舞ってきたのかもしれない。
でも、これも、
わたしの知ってるわたしのわかる範囲での
狭い枠の中での思考。



あるのかなー、
あるのかもしれないなーショボーンショボーンショボーン
いや、あるんだよなー。




でも、資質って
良い方に使うものでしょ。
なんだか、よくわからなくなってしまっている。

と考えていたところに
ナイスなタイミングでルイさんのブログ。

有難うございます。
なるほどですね〜。

私ももっと向き合っていこうと決めました。
なんだか苦しくなるけど、
向き合うって、そういうことなのかな。