昨日は寒いから、豆乳グラタン。
本日は、
京人参が先週から余っている状態で、きんぴらごぼうと鶏の軟骨焼き。
冬はきんぴらごぼう常備。
今日も一週間分作り置き。
コンニャク食べたくて、コンニャク入れる。
きんぴらごぼうは熱燗のお供にピッタリ。
寒くなってきたし、ノドが痛むので熱燗をいただこう。
朝寒い中自転車をこいでいると、生きているなぁと思う。
痛いとか寒いって生きていないと味わえない。
でも痛いのはもう嫌だな。
出産の痛みは終わりがあるから全然怖くなかった。
病気の痛みはもう嫌だな。
終わりがないのではないかと、絶望と悲しみと苦痛で我を忘れる。
過去を振り返っていく作業が、ちょっと行き詰まる。
なんか、気持ちが重くなってくるが、でもまとめてゆくにつれて何か心に変化がくるかもしれないからゆっくりと遡る。
今日の朝娘と日本語で遊ぼうを見ていたら、
よごれっちまった悲しみに~
と中原中也さんの歌が流れてきた。
娘が、
「何が汚れたのかな?服?」
と聞いてきたので、
「ここが汚れてしまったのじゃない?または汚されたか。」
と娘の左胸をトントンっとたたいた。
「胸?」
「心だよ。」
「心かぁ。何か悲しいのかな?」
「悲しいのかもね。」
「お母さんがいないのかなぁ?迷子?」
「さぁ、どうだろうね。」
詩は受け手の心境にもよるし、作り手の意図するところまでは分からないけれど、何かとても悲しい気持ちもあるが、何処か諦めのような前向きな清々しさのようなものも感じられた。
ボーッと日本語で遊ぼうを2人で見ていたら保育園と仕事の時間。
私が着替えていたら、水の音。
娘食器洗ってくれていた。椅子を流しまで持って行って。
「とにかく、お母さん忙しいだろうからまゆ洗っておいてあげるから、早く用意しーよー。」
自分はさっさと着替え完了し、パジャマもキチンとたたまれている。
私はパジャマ脱ぎっぱなしで、ちょっと恥ずかしくなり急いでたたむ。
「電気確認した?よく洗面所ついてるままだよ!」
あっ、忘れてる、、、。
「コタツは消しておいたからね。」
ありがとうございます、、、。
家を出る時は、「鍵確認しておくわ。」と玄関ガチャっと確認作業される。
わたし、信用されていない、、、。
どんどんしっかりしていく娘ですが、家の中では赤ちゃんになります。
こういう急ぐ時などは普通に戻る。
保育園から戻り部屋に入った瞬間から、赤ちゃん又は猫になる。
「バブー。」とか「ニャァ~。」しか話さない。
ごはんも、「ママ食べさせてニャア。」とかゴロゴロ甘えてくる。膝の上がいいらしい。
普段お箸バリバリ外では使うくせに、
「おはち、むじゅかしくて、使えにゃいですにゃー。あーんちてくだちゃい。」と訳のわからんことを言う。
まぁ可愛いから猫飼ってる気分でヨシヨシしながら、食べさせてあげたりしている。
歩く時もワザと何度も転んで、「赤ちゃんだからうまく歩けないですぅー。たちゅけてくだしゃい。」と涙目で訴える。
わたしも暇な時は「赤ちゃん大変でちゅねー、抱っこ抱っこ~。」と赤ちゃんごっこに付き合っている。
なかなか面白い。
でも時間がない時は、「猫ちゃん、悪いけど時間ないわ。」と言うと、
「えー、もう終わりかあ、、、。普通になるねー。」と戻る。
でも家でいる半分以上は猫か赤ちゃんな娘。
猫を飼っているのかなと最近勘違いしそうだ。