子どもが幸せになる為にはまず親が幸せでないと駄目だと言う。

親が幸せ、、、ね。

子の幸せな顔を見たら親は幸せ。

卵が先か、鶏が先か。

幸せだから幸せ。

娘が病気にもならず、楽しく毎日を過ごし、学ぶ喜びを得、笑顔であることに幸せを感じずにはいられない。

私は母を憎んでいるが、感謝はしている。

産み育ててくれたことには。

ただそこに愛がなかっただけ。
 
恐怖さえ母に感じた。

どれだけ私から歩みより、母に気に入られようとしたか。

母は全て拒否した。

わたしは無になり、心を閉じた。

人を愛する意味が分からない。

「尊敬する人は親です。」と言う言葉を聞いては(はぁ?!嘘でしょ?本気で言っているのかな?)と疑問に思った。

5歳の時自分に誓った。

(この想いは忘れない。親は私を子どもと見ているけれど、忘れない。私が大人になったら子どもは色々考えていることを忘れない。自分の心に刻もう。)

5歳で誓い、悔し涙で泣いて眠った夜を忘れない。

私は娘にいっぱいの愛を注いで、心を満たしていく。

娘と一緒にいる時間は涙を抑えることが出来ないくらい常に幸せすぎる。

子どもなんて嫌いだし、面倒くさいものだと思っていた。

馬鹿だな。

こんなにも幸せをくれるものなのか。

子どもの為なら死ねるとか言う言葉が大嫌いだったし、理解しかねていた。

理解できたらいいなと昔から思っていたけれど、ようやく理解できるように。

娘が生きるなら、ほいほいと私の命を渡せる。

わたしは優しい子どもでなかったし、親を尊敬出来なかったし、学ぶ楽しみを見いだせ無かった。 

生きる喜びはフルートを吹いている時のみだった。

娘は生きる喜びをもう得ていて、優しく、学ぶ楽しみを見いだしていて素晴らしいと思う。
 
どんなカタチでも良いから自分の幸せを見つけて育んでほしい。

わたしには出来すぎた娘を与えてくださって神様ありがとうございます。

「まゆはすごいね。」といつも言ってしまう。

「ママもすごいよ。ママ34歳だね。」

最後の年齢は余計だよ。

「ママはハタチだよ。」

娘爆笑。

信じてない模様。

こうやって娘とずっとバカやりながら笑って過ごしたいな。





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