皆さま、こんにちは。

 

先週の金曜日、3月8日は国際女性デーでしたね。その日に受信した1通のメールには、同僚のロシア駐在時代の興味深いエピソードが綴られておりました。

 

彼がロシアに駐在していた頃、国際女性デーには驚きの習慣があったそうです。なんと、男性たちはこの日、「知り合いの女性全員に」花を贈るのが礼儀なのだとか。事務所の秘書から不動産エージェントまで、お仕事に関わるあらゆる女性に花を贈ることが当たり前とされており、モスクワの物価高もあり、4~5万円ほど(自腹で)花に費やすことになったのだそうです。

 

初めは「なんじゃぁこれは!」と驚きを感じたそうですが、年を重ねるごとに「意外に人間的かもしれない」と思うようになったとのことでした。花を贈ることで相手の機嫌が良くなり、それを見ている自分もハッピーになる。花を持って嬉しそうにしている女性の笑顔を見ると、自分も笑顔になる―素敵なコミュニケーション文化だなぁと感じるようになったのだそうです。(彼もステキ!)

 

また余談ですが、と言って彼はこの日に大きな花束を抱えて帰りの電車の中で皆に自慢するように見せる女性の「見栄」のような心情についても触れていました。これには驚きとともに、異文化の奥深さを感じたとありましたが、実はこれってきっと人間「アルアル」なんじゃなかろうかと思ったのです。

 

そこで思い出したのが昔‥そうですねぇ。20年ほど前のホワイトデーの帰りの電車の中の女性たちの姿です。

 

今ではほとんど見られませんが当時は2月14日のバレンタインデーに女子社員が「感謝の気持ちです」と言って上司にチョコを渡し、3月14日のホワイトデーには「こちらこそいつもありがとう」(と思っていたかは???だけれど・笑)と倍返しのお返しをいただく暗黙の了解のような習慣がありました。

 

今考えるとこれって日本独自のコミュニケーション文化だったのかもしれないなと思ったのです。

 

「見栄」ということに話を戻しますと、3月14日には戦利品(?)をいっぱいに詰めた袋を抱えた女性たち(私も例外ではない!)が帰りの電車の中で「おや・・あなたも?」なぁんてお互いの荷物をちらっと見ながら自身の戦利品を自慢に思う時間が絶対にあった!と思うのです。ですが、これはただ単に自分が手に入れたお返しを自慢していただけではなく、その一瞬に共感と連帯の気持ちが込められていた。つまり、「お互いの労力と思いやりを称え合った」・・という事でしょうか。

 

そして、感謝の気持ちを素直に表すことが苦手な日本人にとっては「お返し」というワンクッション挟むことが必要だったのかもね、なんてふと思ったわけでございます。

 

今では悪しき習慣として無くなったイベントにも実は愛ある「コミュニケーション」がそこにはあったのかもしれません。20年ほど前のこのようなイベントは、ただ物をやり取りするだけでなく、人と人とのつながりを深め、お互いの心をほっこりと温めるものでした。

 

いつからそれが変わっていったのかなぁ・・・

 

今の時代もそのような「愛情深いコミュニケーション」はより多くの人々に必要とされていることを感じずにはいられません。

 

いや・・・このような「愛情深いコミュニケーション」を誰よりも必要としているのは、この私かもしれませんな。

 

 

 

 

 

魔女になるのも大変だ!Jun-JUNON