昨晩は疲れているのにもかかわらず、なんとなく寝付くことが出来なくて、それならばと映画を立て続けに2本観てしまいました。
その中の1本,が、ゆったりとした時間が流れる南の島の宿「ハマベ」を舞台に、そこに集い、マイペースにたそがれる人々の姿を描いた「めがね」という映画です。
これ随分と古い映画なのかな?2007年頃の映画のようですね。
「携帯の繋がらない場所に行きたい」と南の海辺の町を訪れたタエコは、不思議な一軒宿「ハマダ」に宿泊します。
観光する場所も何もない小さな浜辺の町で、どこか馴れ馴れしく、そのくせマイペースすぎる人たちに馴染むことが出来ずタエコは一旦は「ハマダ」を出て行くことを決めます。
そして島にもうひとつある宿泊所の「マリーンパレス」に向かうのですが、そこは「自給自足システム」そう、利用者が共同で作物を育てて、それを食べて生活をすることがルールとなっている場所でした。
結局はタエコは早々に「ハマダ」に戻って来ることになります。そして「ハマダ」での生活を受け入れて行きます。
「ハマダ」での生活を受け入れて行くと、マイペースな人たちに振り回され、一見不自由そうに見えた「ハマダ」の日常は、実は誰も自分に対して何も強要しない、自由な時間を過ごせる場所であることに気づくのですよね。
なんとなく不思議な映画でした。上手く言えないのだけれど。。。
映画自体もほ~~んとうに
何も起こらないんです
でもね
タエコの心の変化が共に映し出される映像によって伝わってくるのですよね。いや、実際に映像に何か変化があるわけではないのです。ただそこにあるがままの自然が心地よい音楽と共に映っているだけなのです。
これは観ている私の心がタエコの心に同化して、なんとな~くゆるゆると解放されていったからなのかもしれません。
私たちの日常はたくさんの便利な「ものやこと」で溢れており、それをあたりまえのように身の回りに置いて生活をしています。
もしそういった便利な「ものやこと」が無くなったら、きっと不便で不安で仕方無いですよね。でもそれって便利であるのと同時に沢山の「ものやこと」に縛られているということなんじゃないかと思います。
それが無いと不便だ!不幸だ!って言うのはある種の思い込みカモしれません。だって「皆がそうしているから」と特に疑問を持ったりせず流されて生きていく方が時として楽な場合もありますからね。
結局のところそういった「ものやこと」の多くは本当は必要のないものばかりなんだろうなぁ~と映像の中で何度も現れる波しぶきや風が木々を揺らす音、それらを感じながら思ってしまいました・・・・
凝り固まった価値観や先入観を手放して、身軽になってみる。何ものにもとらわれないそのぼんやりとした感覚こそが1番大切なモノなのかもしれないですね。そして、人生にはそんな時間が必要なのかもしれません。
なんとなくこれ、魂の物語だなぁと思いました。
本当の自由とは何か・・・・・
凝り固まった先入観や価値観からの解放
やっぱり「手放すこと」かぁあああ
魔女になるのも大変だ! Jun-JUNON