ヒーラーになることへの恐れは、正直ほとんど浮かんでこない。
私には特別なサイキック能力はないので、前世とか見えないし、オーラの色も分からない。
だから、それを期待する方のカウンセリングはできないけど、それは予め「できません」と伝えておけばいいと思う。
これといった特別な能力はないのだけれど、私には人を癒す力があると確信しているところがある。
昔から、家族や友達、人と接していてひと目で「元気ないな」と分かったり、話しをしていて気が付いたりしていた。
そして、目の前のその人に元気になってほしいな、と思いながら色々話していると、目の前の人の目が輝き始めたり、なんとなく雰囲気が変わってくる。
そんな時、すごく嬉しいのだ。
元気になってほしいな、という思いは意識しているものではなく、私の中から込み上げてくる愛の感覚で、それを感じるのが幸せだった。
私自身が愛と繋がることができて、幸せな時間だったんだなと思う。
だから、ヒーラーになると思うと、ワクワクする。
私の本領発揮だ‼という感じ。
人を癒す力があっても、昔の私は
「自己犠牲こそ善」
と思いこんで自己犠牲の人生を歩んできていたから、ヒーラーになる資格がなかった。
愛情を表現するのが下手で精神的に不安定な両親のもとで育ったため、愛してもらうためには自分を犠牲にしてでも頑張らなくてはいけない、と思いこんでいた。
結果、自己犠牲を強いる教祖を引き寄せてしまい、20代、30代を自己犠牲の精神で費やしてしまった。
これ以上は譲れない!と魂が叫ぶまで自己犠牲を続け、やっと、たとえ神であっても、誰にも手渡したくない自分自身を見つけた。
自分を犠牲にすることで人から愛を得ようとしてきたけれど、ありのままの自分を大切に、自分で自分を愛することで何時でも愛と繋がることができる。
それは、木やお花、植物が自分で根をはり、地中から水を吸い上げることで生命を維持している姿に似ていると思う。
雨や水やりを期待してがんばらなくても、自分で必要な水分を吸い上げられるよ~みたいな。
子どもの頃からずっと、愛されるためには何者かにならなくてはいけないと思いこんでいた。
自分を犠牲にして人の幸せを願うような優しくて強い人をずっと目指してきたように思う。
弁護士になることもその延長線上にあった。
弁護士になれば、社会的に認められる、人や社会に影響力を持てるし、人より秀でた人間だと証明できると思っていた。
でも、社会的に認められなくても、自分で自分の存在を認めてあげればいい。
影響力は自分で持とうとするものではなくて、自分で自分を大切に自分らしく生きていたら、勝手に持ってしまうものだと思う。
そして、人はみんなそもそも平等。
秀でているとか証明する必要なし!
まず自分が幸せだから、人の幸せを素直に願えるのだと思う。
この気付きを得るために、今までの辛い経験があったのではないか、と本気で思っている。
スピリチュアルカウンセラー養成講座でみちよさんが教えてくれた、人はみんな自分だけのお花が咲く種を持って生まれてきている、ということを、私は日々の保育の仕事で実感している。
子ども達って、ありのままの魂で生きている。
大人よりずっと。
特に私が今いる保育園は幸せそうな子どもが多い。
みんな目が輝いていて、自分だけの個性を持っている。
そのままの個性を大切に育てていってほしいと思う。
でも、大人になる過程で、その個性が分からなくなってしまう人がいるから、ヒーラーという存在が必要なんだと思う。
このブログを書いていて気が付いたこと。
私は昔から、人を元気にしたいと思った時、自分の大元の愛と強く繋がることができた。
その感覚がとても幸せだった。
本当に自分のためにヒーラーになりたいんだな、と思う。