私は美術の授業が大好きだった。
デッサンが好き。
なのに、色つけは全くひどいものだった。
次々と色を上乗せするから、どんどん色は黒ずんで…
友人の人物画なんて、申し訳なく思うほど。
それがトラウマのようになって、自分らしい色塗りは1度も出来ていない。
それでもデッサンは好きだった。
高校入学時に選択する芸術コース。
1度決めたら3年間同じ。
もちろん第一希望は美術。
なのに外れて書道に…。
だけどそれで正解だったと気づく出来事があった。
高校何年生だったか忘れたけれど、自分の左手をデッサンする授業が。
私は鉛筆を擦り、陰影をつけるやわらかい絵が好き。
たとえ拳でも、優しい握り、強い握りいろいろ。
私はふんわりした拳を描いた。
とてもよく出来た…つもりだった。
ところが。
成績は最低。
先生が選んだのは、一筆書きの力強い拳。
私はその絵を今でも覚えてる。
何も魅力を感じなかった絵。
美術的なセンスは人それぞれ。
どんな人に習うか、どんな環境に暮らすか、どんな物を見てきたか。
正解がない世界。
割り切れないものからは、随時離れた暮らしをしてきた。
年に数回、県立美術館で開かれるコンサートに出向く。
大きなアレコの前で繰り広げられるバイオリンやピアノの演奏。
その時も思っていた。
私は美術が好きなんだって…。
じっくりと観る。
何を描いているのか、何を伝えたいのか。
どうしてこの場所にこの絵を飾るのか。
その対象はほとんど絵画だった。
今回の八戸朝市ツアー。
たまたま立ち寄った現代美術館で心惹かれた数々の写真。
撮影者の名前のみで、何も説明されない写真。
そこから得られる情報だけで、数枚の写真が一つの物語になった。
「もっと知りたい」
彼の世界は、究極のエロス。
芸術のエロス。
外見では計り知れない、秘めたる繊細な感性。
その原動力である妻の在りし日の姿。
言葉では語れない何かを垣間見た気がする…。
写真を上手に撮る人。
それが写真家だと思っていた。
彼が伝えたいこと、伝えたかったことを言葉にしたくて、本を貪る。
現代アート。
いいものは、やっぱりいい。

