不登校から社会への一歩を踏み出した時の話

 

あれはちょうど17歳の暑い夏の日。

外ではセミがミンミン大合唱をしていた。

 

僕はクーラーもない部屋で、

扇風機の前で思い悩んでいた。

 

少し前に読んだ、新渡戸稲造の「武士道」。

 

生きるべきか、死ぬべきか、

死ぬのは怖い、生きるのもつらい、でも、、、

 

何が怖いか。人に心を傷付けられることが怖い。

豚だのデブだのさんざん大勢の前で恥ずかしい思いをさせられてきた。

またあんな思いをするのは嫌だ。しかし、、、

 

本当に恥ずかしいことは、何もしない、何もできないで、

ただ家族のお荷物となり、心配され、親不孝をし、ただ生きながらえることだ。

そう思った。

 

だから18歳を前にして、車の免許をとれる時期に差し掛かったこともあり、

最後の勇気を出して、車の免許を取ろうと覚悟した。

もし免許が取れなければ、もう自殺をしよう。

本気で決意した。

 

それが数年ぶりに社会に出た一歩だった。

 

久しぶりに出た外の世界は、思いのほか普通だった。

普通というのは、いやな思いも、特に感動もなかったということ。

 

人と話すのは怖かった。

自動車学校の受付の人に、もごもごと免許を取りたいことを伝えた。

 

それから免許を取るために毎日通った。

ただ目の前のその一日を必死に生きた。

 

気が付けば、自信になっていた。

長年家に引きこもっている間も、決して無駄ではなく、

エネルギーがチャージされていた。

 

免許を取った後は、自分の中では快進撃だった。

 

アルバイトの面接に行き、見事採用もされた。

複数のアルバイトを掛け持ち、恋愛もした。

生きるということは、頭の中で考えているほど恐ろしいものではなく、

とても楽しいものだと知った。

 

 

僕が引きこもっていた時に恐れていたのは、人間関係だ。

人に悪く思われることを酷く恐れていた。

 

でも武士道を読んで、「今の自分ってかっこ悪いな」と思った。

人の目ばかり気にして、引きこもっている自分。

それが自分の中で許せなくなった。

 

最初の一歩はとても勇気が必要だったけど、

2歩目、3歩目は意外とスムーズだった。

 

人はいつでも変われる。

その人の人生に降りかかる恐怖、

それに負けないだけの勇気を備えている。

 

最初の一歩が怖いだけだ。

その一歩さえ乗り越えれば、

理想の自分に自分は変わることができる。

いつでも。遅すぎることはない。