ごぶさたしてます。

母のことを考えると泣けて泣けて仕方ないので、ブログも作成出来ずにいました。


今日は2回目のオンライン面会で、やっぱり泣きながら帰ってきて、これも泣きながら書いてます。


すっかり変わり果てた様子に「もっとこうすべきだった」とか色々と後悔が浮かんできます悲しい


それでも最近は泣かない日も増えてきました。


母は入院する前より確実に症状が悪くなってます。むしろ入院してからの方が手が出てるようです。


拒食も酷く、栄養は点滴で補ってるそうです。


うちでよく食べてたプリンなら食べるかなと差し入れてますが、食べてるんだか食べてないんだかも分からず。。


様子を聞かせてほしいので病院に電話をしてますが(相談員さん了承済み)、人手不足で大変そうで、なかなか折り返しもないので電話するのも申し訳なくて、1週間から10日は開けて電話してます。


あんなに足腰が強かった母が車椅子移動になってるのもショック。


オンライン面会もたったの5分で、入院して1ヵ月半で、私のことはすっかり分からなくなってるようです。

てか、それすらも分からないほど、半分眠ってるような母との会話はままなりません悲しい


もっと限界までおうちで一緒に過ごすべきだったんじゃないかとも思いますが、やはり入院直前の母の写真は呆けた(ほうけた)顔のものが多く、あそこが限界だったんじゃないかとも思えたりします。


でもデイサービスから遅れて7月号の通信網が来て、そこでの母が可愛く笑ってて、まだこんなに笑えてたのに病院に入れるべきだったのか。。と考えてしまいました。


私の名前もまだ呼んでたし。


病院ではなくて直施設の方がまだ頻繁に様子を見に行けてあんなに悪化しなかったかもとも思えて、後悔が止まりません


考えてももう時は戻らないんですけどね。


それに施設でもコロナで面会は出来なかったかな。

病院もコロナ前は家族も隣の席で一緒にレクを受けたりしてたそうです。

ほんとに憎きコロナムカムカ


母がいなくなって休みの日は隙を埋めるように友人と出かけています。

母と行きたいと思っていたバスツアーも友人と行きました。


泊まりに来てくれる友人や、高いランチを奢って励ましてくれる友人もいます。

ホントに私は友人に恵まれています。


以前は早く帰らなきゃと焦って帰ってたのが、今は時間を気にすることもなく買い物して帰れて、土日も一人でどこにでも行ける。

大好きなKPOPにも夢中になれる。


けど、長いこと母中心の生活だったので、そんな生活がふわふわ落ち着かないです。


私はよい歳して独り暮らしもしたことないし、母と離れて暮らしたこともないので、もうこの家に母が帰らないのがまだ実感が沸きません。


毎日母の写真に「ただいま」と「行ってきます」も欠かしていません。


私は抗がん剤治療中、自分のことしか考えてなく、朝の9時に診察を受けて、その後16時近くまで、待合室でずっと待ってた母のことまで頭が回ってなかった。


大変だから付いてこなくても良いよとは言ったことがあったと思うけど、母は頑として毎回付いてきてくれてました。


その間、母はご飯は食べてたのかな。

きっと食べてなかったと思う。

私はそんなことにも気が回らなかった。


母は本当に私のことを自分のことを後回して愛してくれていました。


母が「早く死にたい」と言った時に「お母さんが居なくなったら私は一人ぼっちだよ」と伝えたことがあります。

 

何日か経ってからある時「お前には私しかいないからね」って言ってた。

母なりに懸命に留まろうとしてくれてました。

私のために。


母は辛抱強く、私に付き合って出かけて、訳が分からないなりに一緒に出かけてくれていたんだと思います。


なんか感情がおかしくて取り留めもない記事で、すいません(_ _)


今はただ母にとって穏やかな日々が早く来てほしいと願うばかりです。


念願のムーミンバレーパークキラキラ