とーんとご無沙汰しておりました。

新年の挨拶さえしていなかったですキョロキョロ


私は相変わらず母、中心の生活です。

土日は母と市内の大体バイク30分圏内のスーパーを回る日々。


コロナ禍で、わたしが友人と会う機会がなくなったのが、幸いのようです。


日々ゆっくりと進行してはいるけれど、毎日笑いながら暮らして行けると思っていました。


「いつか」がそのうちやってくるとは思ってましたが、ゆっくりとだと思ってたんです。


でも、今週の火曜日、少しの残業で遅くなった帰途、母が泣きながら電話してきました。


「もう何も分からない」

「ここがどこかも分からない」


私はバイクに乗っての帰り道でしたが、イヤホンで話してるうちに少し落ち着きを取り戻して一旦電話を切りました。


10分ほどしてお家に着いても不安そうに泣きじゃくる母。

「なんでこんなになっちゃんだろう 」

「もうこんなになったらダメだ」


話してるうちに自分のことや私のことも思い出したようで、それでも一度「何もかも分からない状態」に陥ったことは物凄い恐怖で。


不安そうに泣く母。


そりゃそうですよね。

一生懸命に明るく励まし続けましたけど、そんなの本当に恐ろしいことです。


私は「私がいるから大丈夫だよ」と何度も抱きしめました。


母も「寝て起きたら戻るような気がする」と前向きになろうとしていました。


この日は近所の友人と出かけて、15時には戻ってたと思います。


お家で明日のデイでの服を「何を来たらいいんだろう?」と考えたところから何もかも分からない状態になったようです。


「歳を取ったら仕方ないんだよ」と慰めても「違う!こんな風にはならない」と自分に起こってること、漠然と分かっているようです。


最近は朝の着替えをパジャマから何に着替えていいか分からなくなっていて「何を着たらいいの?」と聞くようになっていました。


洋服は母の部屋に沢山かけてあります。

そこから選んで(いつも同じ服になりがちでしたけど)自分で着替えてたんです。


どんどん出来ない事が増えています。


昨日はデイに行って少し元気を取り戻してましたが、今日また16時半頃泣いて電話が来ました。


「お前はどこに行っちゃったの?」と。


まだ仕事してるから、あと1時間で帰ると話して落ち着いてきて、納得してくれたので電話を切りました。


家に帰って話を聞いてみると、ご近所さんと出かけて帰ってから少し寝たらしく、それで起きて、夕方ではなくて朝方と思い込んだみたいです。


起きてベットに私が居ないので、置いていかれたと思ったようです。


もう昼間に一人でお家に置いておくのは限界なのかな。


土曜にケアマネと面談があるので相談してみますが、デイを週5にしようかと考えています。


本人に抵抗はあるようですが、お家に一人で居るよりは良いのかもとも思っているようです。


ご近所さんとお出かけの時には休んでも良いからと伝えましたが、帰ってからの急変に私も恐怖があります。


今日は「もう入れてもらおうかな。お前に迷惑かけるなら」とポロリと言いました。


頑なに施設なんて嫌がると思ってたので意外でした。そんな風に言ったことは忘れるとは思いますが。


私も急な悪化に気持ちが追い付いていきません。


働けなくなるかもという不安もあります。

いっそ生活保護で働かずに母に付いててあげたいとも思います。


突然何もかも分からない状態になるなんて。。


それでも家電から私に電話ができてる今はマシなような気がします。


ちょこちょこ会社から電話を入れようか。。


会社には火曜の件を話して、急遽会社に穴を空けることがあるかもと了承してもらいました。


先週の土曜日は友人がチケットを用意してくれて、母とコロナはじまって初めて東京に出ました。


東京都庭園美術館とその隣の自然教育園に行ってきたんです。


この日は友人と3人で楽しく過ごせてたんです。













久しぶりに楽しく記事をあげようかと準備してたのに。

もう一つ、心配なことが。

今年に入ってからの胃カメラで母の胃に気になるものがあり、今の段階では判断着かないので4月にまた胃カメラとなりました。


母は胃カメラを嫌っていて、お正月も上着を投げ捨てて家出をしたんです。

慌てて追い掛けてこっそり後を付けて、ごまかし宥めてお家に戻りました。


もう胃カメラは必要最低限にしてもらおうと先生に話そうと思ってた矢先の異物発見です。


4月の胃カメラを受けてもらえるかも不安だし、もし悪いものなら、その先の治療も入院も不安。


あまり決まってもない先の事を考えないようにしてますが、そんなに母に試練ばかり与えないでほしい。


一人親でがんばって私たちを育ててきたのに、こんな仕打ちない。


私の願いは母が不安に思うことなく、穏やかに楽しく過ごせること。

お寺で祈るのはいつもこのことです。