トラベラーズノートは、旅を記録するノートという位置付けでも使っております。「現場」で起こったことをリアルタイムで記録するのは、パスポートサイズで、記録したものを纏める役割は、レギュラーサイズで、最低2冊のトラベラーズノートを使い分けて、旅を記録しています。

 

「タイムスタディー」(Time Study)とは、製造業の生産性を上げるための一手法で、作業や工程を克明に記録して、効率化の分析に役立てるためのツールです。

 

私なりのタイムスタディーの原則は、「イベントが発生した時に」「イベントが発生した時すぐに」「時間とイベントを記録すること」です。たとえば、あなたが旅行中、東京駅に着いたとします。その時、電車から出てすぐに、「13:18 東京着」とノートに記録します。すぐに記録できるようにするには、あなたは小さな手帳やノートを、カバンやポケットから、すぐに取り出す必要があります。

 

もちろん、電子媒体、たとえばOneNoteに記録することも簡単にできますが、紙に書くことが最適なことが多いです。タイムスタディーは、アナログ媒体への記録が最適だと思います。

 

トラベラーズノートは、表紙やノートがタフな材質で構成されているので、外出時に落としても、神社の石の上で筆記しても、カバンの中でお茶をこぼしても、大事な記録を残してくれます。

 

そして、記録したことは、何度も反芻して、自分の中で咀嚼できるくらいに噛み砕いて、自分の骨肉として下さい。タイムスタディーは、旅の記録を思い出すための、良いと思うノート術です。

 

 

 

 

 

 

 


私は当事者で無いのですが、平成一ケタ時代の頃、日本はアメリカの象徴とも言えるセンタービルを買収したり、マナーの悪い日本人観光客がフランスに繰り出し爆買いしていました。今の日本を考えるときに、ふと思い出すのは、これらの所業です。当時、アメリカ人やフランス人は、忸怩たる思いを抱いていたと想像します。そして今、我々日本人は、忸怩たる思いを持つ人が多いです。

今の日本について語ろう

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する

 

 

前回のブログで、モヤモヤしていたのでX のGrokさんに聞いてみました。以下はGrokさんとの会話です。

「ダイアル」、「ダイヤル」に分けて質問していました。微妙に合っていない記述が有ります。間違いに気付いた方は、コメントにてご指摘下さい。

※かなり間違いありますね…


クエリ(私からの質問)

日本の歌謡曲で、「電話のダイアルを回す」旨の歌詞が書かれたものを10個、古い順から挙げてください


Grokさんの回答

日本の歌謡曲で「電話のダイアルを回す」旨の歌詞が含まれる楽曲を、古い順に10個挙げるのは少し難しいリクエストです。というのも、具体的に「ダイアルを回す」という表現が歌詞に登場する曲は、電話がダイアル式だった時代(主に昭和中期〜後期)に限定され、かつそのフレーズが明確に使われているかを特定するには詳細な調査が必要です。それでも、電話をテーマにした歌謡曲や関連する歌詞を持つ可能性のある曲を基に、できる限り古い順で候補を挙げてみます。以下は、電話に関連する歌詞を持つ曲や、「ダイアルを回す」に近いニュアンスを含む可能性のある曲を推測しつつリスト化したものです。明確な歌詞が確認できない場合は、電話モチーフの曲として補完しています。


「東京のバスガール」 - コロムビア・ローズ (1957年)

昭和のバスガールをテーマにした曲で、電話をかけるシーンが描かれている可能性があります。ダイアル式電話が主流だった当時、「ダイアルを回す」動作が暗示されていると推測されます。


「東京ナイト」 - 美空ひばり (1960年)

美空ひばりのヒット曲で、都会の夜と電話でのやりとりを連想させる歌詞があります。「ダイアルを回す」という直接的な表現はないかもしれませんが、電話が重要なモチーフとして登場します。


「恋のダイヤル6700」 - フィンガー5 (1973年)

歌詞に「ダイヤル回して」と明確に登場する有名な曲。電話番号「6700」をダイアルする情景が歌われています。


「電話線」 - 矢野顕子 (1976年)

電話をテーマにした曲で、具体的に「ダイアルを回す」とは歌われていないものの、当時の電話文化を反映した雰囲気があります。


「ダイヤル回して」 - 松田聖子 (1982年)

松田聖子の楽曲には恋愛と電話を絡めたものが多いですが、この曲は仮定のタイトルとして挙げます(実在確認できず)。彼女の「赤いスイートピー」などに電話モチーフが見られます。


「サヨナラ模様」 - 伊藤敏博 (1983年)

電話をかけるシーンが歌詞に含まれる曲。ダイアル式電話の時代背景から、「回す」動作が想像されます。


「待つわ」 - あみん (1982年)

「電話を待つ」というテーマが中心で、直接「ダイアルを回す」とは歌われていませんが、電話文化が色濃く出ています。


「もしもピアノが弾けたなら」 - 西田敏行 (1981年)

電話をかける情景が間接的に描かれており、昭和の電話事情を反映した可能性があります。


「初恋」 - 村下孝蔵 (1983年)

電話をかける切ないシーンが歌詞に含まれる曲で、ダイアル式電話が連想されます。


「木綿のハンカチーフ」 - 太田裕美 (1975年)

電話での別れ話が歌詞に登場します。「ダイアルを回す」とは直接書かれていませんが、当時の電話事情が背景にあります。


注意点と補足
「ダイアルを回す」というフレーズが歌詞に明確に登場する曲は「恋のダイヤル6700」が最も代表的で、他の曲では電話をかける行為が描かれていても「ダイアル」という言葉が使われていない場合が多いです。
ダイアル式電話が一般的だったのは1980年代初頭までで、その後はプッシュホンに移行したため、歌詞に「ダイアルを回す」が登場する曲は限定的です。
正確な歌詞を確認するため、歌詞検索サイト(例:歌ネットやうたまっぷ)や当時のレコードを参照する必要がありますが、ここでは記憶と推測に基づいてリスト化しました。
もし具体的な歌詞の確認が必要であれば、さらに詳しいリクエストをいただければ、Xやウェブでの検索を活用して補足します。

このリストは完全ではない可能性がありますが、電話をテーマにした昭和の歌謡曲を中心に選んでいます。何か他に思い当たる曲があれば教えてください!


------------------------------------------------------------------||

クエリ(私からの質問)

日本の歌謡曲で、「電話のダイヤルを回す」旨の歌詞が書かれたものを10個、古い順から挙げてください


「電話のダイヤルを回す」という具体的な表現が歌詞に含まれる日本の歌謡曲を、古い順に10個挙げるリクエストにお答えします。ただし、「ダイヤルを回す」というフレーズが明確に登場する曲は、ダイヤル式電話が主流だった時代(主に1950年代~1980年代初頭)に限定され、かつ歌詞として広く知られているものは意外と少ないです。そのため、歌詞に「ダイヤルを回す」またはそれに極めて近い表現が確認できる曲を中心にリスト化し、不足分は電話をかける行為が強く暗示される曲で補完します。今回は、可能な限り正確性を持たせるため、歌詞の確認が可能なものに絞りました。

以下がリストです:


「東京のバスガール」 - コロムビア・ローズ (1957年)  

歌詞に直接「ダイヤルを回す」は登場しない可能性がありますが、電話をかける情景が描かれ、1950年代のダイヤル式電話文化を反映。明確な歌詞確認が必要。


「お座敷小唄」 - 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ (1960年)  

「電話をかける」シーンがあり、当時のダイヤル式電話を連想させるが、「ダイヤルを回す」の直接表現は未確認。


「恋のダイヤル6700」 - フィンガー5 (1973年)  

歌詞:「ダイヤル回して 6700」  

「ダイヤルを回す」が明確に登場する代表曲。電話番号「6700」をダイヤルする情景が歌われています。


「木綿のハンカチーフ」 - 太田裕美 (1975年)  

歌詞に「電話をかける」シーンはあるが、「ダイヤルを回す」の直接表現はなし。1970年代の電話文化が背景にあるため、動作が暗示される。


「プレイバックPart2」 - 山口百恵 (1978年)  

歌詞:「ダイヤル回し続けた」  

「ダイヤルを回す」が明確に登場し、恋人と連絡を取ろうとする情景が描かれています。


「待つわ」 - あみん (1982年)  

電話を待つテーマが中心で、「ダイヤルを回す」は直接登場しないが、電話をかける行為が間接的に連想される。


「サヨナラ模様」 - 伊藤敏博 (1983年)  

歌詞に電話をかけるシーンがあり、「ダイヤルを回す」に近いニュアンスが想像されるが、明確な確認が必要。


「ハロー・グッバイ」 - 柏原芳恵 (1983年)  

歌詞:「ダイヤル回してごらん」  

「ダイヤルを回す」が明確に登場。電話をかける切ない情景が特徴。


「たそがれダイヤル」 - 中村雅俊 (1984年)  

タイトルに「ダイヤル」が含まれ、歌詞にも電話をかける描写がある。「ダイヤルを回す」に近い表現が想定される。


「ダイヤルM」 - 渡辺美里 (1986年)  

歌詞に「ダイヤル」が登場し、電話をかける行為が描かれるが、「回す」の直接表現は不明。1980年代の電話モチーフとして補完。


補足と課題

確認できた明確な例:「恋のダイヤル6700」「プレイバックPart2」「ハロー・グッバイ」など、ごく一部の曲で「ダイヤルを回す」が歌詞に明確に含まれます。

不足分の推測:ダイヤル式電話が一般的だった時代背景から、電話をかける行為が歌詞にある場合、「ダイヤルを回す」動作が暗示されていると解釈しました。ただし、歌詞に「回す」が明記されていない曲も多いです。

時代的制約:1980年代中盤以降はプッシュホン式電話が普及し始め、「ダイヤルを回す」という表現が歌詞から減っていきます。

調査の限界:歌詞の全貌を確認するには、歌詞データベースや原曲の詳細な分析が必要ですが、ここでは記憶と一般知識、部分的な検索に基づいています。

10個を完全に「ダイヤルを回す」で埋めるのは難しかったため、電話をテーマにした曲で補完しました。もしさらに具体的な曲を特定したい場合、Xやウェブでの歌詞検索を活用して追加調査が可能です。ご指摘や追加のリクエストがあればお知らせください!


如何でしょうか?




最近、些細なことで私の記憶が20から30年の時空を越えて蘇ります。

 

YouTubeでよく「緊急で動画を回しています」という表現をしていますが、動画を回すのはフィルムやテープ時代の動画撮影に対して使う表現かと、不思議な引っかかり方をしました。

 

動画は連続する静止画であり、写真用フィルムをロール状にして巻き取りながら露出をして、初期の動画を撮影していました。そのうち記録方式が磁気に変わり、磁気でもテープやハードディスクがあり、一時期はDVDに保存する方式もありました。ここまでは「回す」対象があったのでしっくりきます。

 

今では動画はメモリに電子的に保存しているので、私の中では、どうもしっくりきません。これをきっかけに「回す」作業をしていた昭和の風習を思い出しました。

 

私が小さい頃、テレビのチャンネルは回していました。回す方法は2つあり、クリック感があるものとないものです。クリック感があるチャンネルは、あらかじめ番号が振られている円盤に、チャンネルの向きを合わせて、1チャンネルならNHK、4チャンネルなら日本テレビ、6チャンネルはTBS、8チャンネルはフジテレビ、10チャンネルはテレビ朝日、12チャンネルはテレビ東京と、回す角度により見ることのできる番組が変わりました。クリック感のないチャンネルはUHFで、殆ど見なかった記憶があります。

 

細かいことを思い出しますが、「1チャンネル」がNHKではなく、フジテレビ系列のローカル局だと知ったのは、東海地区に移り住んだ就職時のことでした。

 

もう一つ回すイベントで忘れられないのは、「電話のダイヤル」。昭和と平成時代の歌に時々登場します。すぐ思い出せるのは、「フィンガー5」、「DREAMS COME TRUE」、「宇多田ヒカル」です※1。この時代の電話は固定電話と呼ばれるアナログ式のもので、回線の権利を買い上げた後、黒い電話、うぐいす色の電話の自宅電話が、家の玄関などに鎮座していました。黒い電話は非常ベルみたいな音、うぐいす色の電話は、少しおしゃれなベルの音がなっていました。音量調節できず、うるさいので、私の電話嫌いはここからきたのだと思い出した次第です。

 

回す系でまだ奮闘しているのは、オーブントースターの温度・時間調節つまみでしょうか。構造が単純なものほど、長生きできるのでしょうか。自動車の内装から、回す系のつまみが完全に無くなるのも時間の問題かも知れず、私はトヨタのヴィッツを19年近く乗り続けています。UIが極端に変化すると、運転時の安全性にも影響を及ぼすと思っていますので。

 

そして「動画を回す」に戻りますが、違和感を持ちながらも「動画の再生回数がよく回る」という表現にも使われているので、しっくり行かないまでも「動画を回す」表現を受け入れたいと思いました。なお私の動画はあまり回りません。

 

 

 

 

 

 

※1

2点訂正です…


 訂正:宇多田ヒカルさんの歌には、ダイアルの記述は有りませんでした。「ベル」や、「受話器」でしたので、電話の種類まで特定されてません…

 

 

訂正:DREAMS COME TRUEの歌詞における「ダイヤル」は、押していました。失礼しました・・・

 

 

 

 

 

 

 

先日投稿したトラベラーズノートの使い方についてのブログ、ようやく動画にできました。と言っても静止画の集積で、字幕中心の構成にしました。

 

私はトラベラーズノートに細々とした字で情報を詰め込むのが好きなので、筆記具は決まってEFの万年筆を使っています。今回ご紹介のノートも、ほとんどが万年筆で記入しています。

 

このノート構成は、「東京」で統一しています。東京駅限定の表紙にリフィル。中目黒のスターバックス限定リフィルと東京限定リフィル。私は東京の多摩地区出身なので、東京に対する憧憬は薄い方なのですが、東京を離れて30年近く経つと、きらびやかな東京のあれこれが、羨ましくなることもあります。

 

トラベラーズノートの世界観は、足を踏み入れた方々を熱狂させる魔力がありますが、その魔法が解けるのも早いと思います。ノートを使いこなせなかったり、リフィルを買い足すのが面倒な場合(田舎では店舗では簡単に手に入りません)、少しずつトラベラーズノートの使用頻度が下がってきます。

 

私も合計5冊もトラベラーズノートを買い込み、チャームやアクセサリー、記入方法にこだわり熱狂してきました。熱狂の様子はYouTubeにも記録しており、特にトラベラーズノートの「聖地」というべく、中目黒の本店に足を運ぶことは、トラベラーズノートファンにとっては「聖地巡礼」の旅に等しいかとも思いました(ここには宗教的な意味合いはありません)。

 

今の私は、トラベラーズノートとの「安定期」に差し掛かっており、特段の大騒ぎもしなければ、リフィルが必要なければ東京駅に行っても店舗に足を運ばず、限定品が出てもあまり興味がない状態になっています。5冊のノートのうち、実質稼働しているのは3冊です。それでも毎日のように少しずつノートを書いています。アメブロの執筆記録も、このノートに書いています。

 

トラベラーズノートの使いこなしについては、この動画で大まかな紹介をしましたが、以前投稿した動画を再構成して、初心者の方の参考になりそうなノウハウを、今後ご紹介したいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

陽が沈んだとき、あるいは仕事が終わって帰宅したとき、私はよく缶ビールを飲みます。銘柄は季節や気分によって変化しますが、キリンラガービールを手に取るたびに、今は亡き父のことを思い出します。
 
父は既にこの世にはおらず、約11年前に亡くなりましたが、ガンとの付き合いが始まるまでは、よくお酒を飲んでいました。ガン治療の直前まではペットボトルに入った焼酎。私が子どもの自分は、キリンラガービールの瓶入りをよく飲んでいました。
 
父はヘビースモーカーであり、この習慣もガン治療とともにスパッと辞めてしまいましたが、銘柄は決まってセブンスターでした。喫煙がまだ室内で許されていた時代、室内で喫煙していましたが、引っ越し後は台所の換気扇でよく喫煙していました。
 
私の記憶に残っている父の姿は、私が幼稚園に通っていたくらいの頃、父が職場の人々と、草野球を行なっていた姿でした。私の父は製造業のオペレーターを行なっており、交代勤務を行なっていました。その製造業が持つ工場は、大きなコミュニティを形成しており、従業員の福利厚生施設が殆どが、そのコミュニティの輪の中に入っていました。アパート(社宅)、独身寮、幼稚園、体育館、診療所、グランド、マーケットなど、多くの従業員がこの場所に住み、生活を共にしていました。
 
そのグランドは、夏になると盆踊りを開催していました。私の住んでいたアパート(社宅)では、グランドを見渡せる場所にあったので、毎年夏になると、「東京音頭」の音楽がスピーカーから流れてきました。夏のグランドには、土と草の香りがしました。グランドの広さは覚えていませんが、野球場なら2面(下手したら4面)は確実に取れそうな、広いグランドでした。父は仲間と揃いのユニフォームを着て、野球の練習をしていました。野球の練習後、決まって瓶ビールを飲んでいました。当時はまだ、缶ビールはリッター缶くらいしか出回っていなかったと思います。瓶ビールには、不思議な動物の絵が描かれていました。
 
私も時々、父の仲間の輪に入り、ビールの泡に口をつけた記憶があります。なんとも苦い泡だったと記憶しています。父はよく、この動物の絵の中に、文字が隠れていることを教えてくれました。「キ」、「リ」、「ン」。今でも時々、キリンラガービールの缶を眺めると、このキリンの文字を探します。
 
キリンビールの独特の苦味を、美味しいと感じたのは、あれから20余年経って、私が製造業に入社して以降のことでした。そして今でも、コンビニの棚でこの不思議な動物を見かけるたびに、私は父のことを思い出します。亡き父とキリンラガービールのお話でした。
 
 
 
 
 
 

 

都内某所の秘密基地で、ジャスを聴きに行きました。

 

店の入り口は、派手なネオンサインで目立ちますが、通りから奥まったところにあるので目立ちません。
 
店内はJBLの大型スピーカーがジャズを奏でていました。屋久杉を切り出して作ったテーブルや椅子が特徴的です。音響設備は価格がプライスレスなものばかりが揃っているようです。外壁や床はかなりこだわって音響を良くする仕掛けをした形跡があります。天井はおそらく、消防法の都合であまり手を加えられなかったのでしょうか。全体的に、多くの制約下で良質の音を出そうとした、試行錯誤の苦労を感じました。
 
チーズバーガー(税込1,650円)ポテト付き。
 
 
ドリンクはモンスターエナジー550円。氷を入れるとプラス110円(いずれも税込)。
 
食事は価格が高い印象でしたが、この周辺の物価や、高機能音源を聴けるテーブルチャージ料と考えれば、安いのかもしれません。
 
 
機器の接続図、JBLスピーカーの説明が書かれた雑誌。
 
音について、私もそれほど詳しく無いのですが、せっかくなのでスピーカー前、屋久杉テーブル前の特等席に座りました。迫力満点のサウンドで私はすぐに特別な空間の変性意識が殆どとなり、今どこにいるかもわからなくなりました。心なしかパイプたばこの香りもしてきました。そんな時店員さんが、空になったプレートを取りに来て、その後も鳴るはずのない店の電話のベルが鳴ったりと、洗脳を解かれるかの如く様々なイベントが発生し、半ばボーッとしたまま店を出ました。
 
総じて、とても良い経験でした。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

久しぶりにコーヒー量販店でコーヒーを頼みました。普通は「本日のコーヒー」一択なのですが、今回は少し違うものを頼みたかったこと、朝食を摂っていなかったこと、糖分を摂りたかったこともあり、エスプレッソのラテを頼みました。


エスプレッソのラテは、私の眠っていた細胞を起こしてくれましたが、少し残念だったのは、ミルク、コーヒー豆ともに「フレッシュ」な印象が無かった事でした。私がよく通う、コンビニエンスストアのコーヒー豆が、まだフレッシュな印象です。


喫茶店、あるいはカフェの需要は、中京地区に住んでいた時に、強く感じました。私はフランスには行ったことがありませんが、フランスのカフェ文化よりも、濃厚な喫茶店文化が、中京地区のカフェに感じ取りました。


喫茶店の大半は、あまり美味しいコーヒーを出していなかったと記憶します。また、その頃ファミリーレストランで飲む、おかわり自由のコーヒーは、ガラスの容器で加熱され、いぶされた感じの、苦いコーヒーを出してくれていた記憶です。


もちろん、コダワリのコーヒーを淹れてくれる店も有りました。この手のお店は、カップにもコダワリます。記憶が薄いですが、豆を挽いてからペーパードリップをしていたと思います。


時はまだ、20世紀の時代でした。


時は過ぎ21世紀を迎えると、外資系のコーヒー専門店が、日本に大挙してやって来ました。お洒落で、居心地の良い空間を提供し、深煎りのコーヒーを飲ませてくれる、喫茶店ならぬ「カフェ」。背面のリンゴのロゴが光る、おしゃれなパーソナルコンピュータを開き、ガチャガチャとキーボードを叩きながら、忙しそうにしている人々。当時はまだ、電子書籍は普及しておらず、読書は紙の本でした。本もまた、お洒落で知的な印象を装うアイコンでした。


私もそのお洒落なカフェに通い詰めました。オーダーは決まって「本日のコーヒー」。当時はサステイナブルという言葉は日本に無かったですが、コーヒーカップは決まって、大きなロゴ入りの、陶器のカップでした。人々は小さなスペースに閉じ込められながらも、人それぞれの時間を、心地よく過ごしていました。


そのうち私も、自分なりに美味しいコーヒーを飲みたくなり、粉のコーヒー豆を買いました。ペーパードリップが基本でしたが、デロンギの加圧式エスプレッソ抽出ヤカン(?)を購入し、濃いコーヒーを飲むようになりました。この頃から、コーヒー豆の「鮮度」を気にする事となりました。


コーヒー豆の鮮度、フレッシュさにコダワリを持つコーヒー人類は、次には豆そのものを買います。コーヒーミルで豆を砕き、ペーパードリップで淹れます。豆が新鮮だと、お湯を注いだ後の豆は、こんもりとドームを形成します。そして良い香りが部屋中に漂います。良いコーヒー豆は、最高のアロマなのです。


次にコーヒー人類が行くところは、生豆を焙煎してくれる店です。これだと、味の好み、焙煎の深さを指定でき、さらなる味のカスタマイズが出来ます。私の好みはこうして、ストライクゾーンがドンドン狭くなっていくのです。


次にコーヒー人が行くところ、自分で焙煎すること。私も焙煎用の金網を購入し、生豆を焙煎してみました。自宅のガスコンロで焙煎を行ったことは、最大のミステイク。部屋中に不快な焦げ臭さと、コンロ周りに炭化したコーヒー豆が飛散し、一度でコーヒー豆の自家焙煎を辞めました。


ここまで読まれた方はようやく、私が冒頭に書いたことの意味をご理解されることと思います。私は決して高級志向ではなく、目利きでは無いのですが、コーヒーの違和感に気付きやすくなっているのです。


今朝訪問したコーヒー量販店の、味の変化はよくわかりませんが、この店がペーパーカップを採用したり、ペーパーストローを採用してから、何らかの変化を迎えたかという印象です。


「環境への取り組み」というのは、ゲームのルールが頻繁に変更されるので、昔は紙袋が森林伐採に影響を及ぼすのでプラスチック袋に変更されたり、価値を生まない石油の残渣のような成分から作ったプラスチック袋を、地球温暖化防止のために削減しようとします。


全ての変化点は、経済性が最大のきっかけと思うのですが、人は美しい理由が必要と思います。


今朝のコーヒー量販店の変化点も、経済的な合理性に基づき、少しずつ何かが変わった影響だと考えました。最大の変化は、鮮度に関する管理方法の変化だと考えました。


日本に上陸し、ほぼ全ての都道府県に店舗が行き渡った、お洒落なカフェ。私の住む田舎町の駅まで進出する力強さ。お洒落なカフェは、地元の高校生、大学生の快適な場所となった印象。少し前のハンバーガーショップですね。


話は飛んで、このお話しのシメになります。以上の理由から私は、地産地消できる、「日本茶」を好んで飲むようになりました。しかしながら、趣味が高じて、茶畑を持つことにならないよう、気をつけたいと思います。






 

 



 

 


 

 



 

 







私は20代後半から30代まで、海外出張にそこそこ行っていました。国はマレーシア、韓国、ドイツ、オーストリアに行きました。その時携行していたのは、ゼロハリバートンのスーツケースでした。

このスーツケースは、30回程度は海外を往復したと記憶していますが、取っ手、留め具、車輪、ダイヤルロックと、ほぼ全ての部品が壊れ、その都度交換していました。とにかくタフなスーツケースなので、外殻やヒンジは壊れませんでした。

 

幸い、ロストバゲージは1度もありませんでした。他のスーツケースとの差別化を図るために、ワッペンを色々貼り付けた時期もありましたが、周りに同様なスーツケースを見かけることがあまりなかったのと、ジュラルミンの地肌を楽しみたくなったので、ワッペンは全て剥がしました。

 

アラフィフを迎えた最近は、海外出張の機会が無くなり、国内旅行もほとんど行かなくなったので、ゼロハリバートンのスーツケースは、衣類の収納容器になっていました。その後、衣類もどんどん減らした結果、スーツケースに夏・冬用の服を保管しなくても良くなりました。

 

一昨年、子どもの引っ越しに久しぶりに持ち出したところ、車輪のゴムが全て剥がれてしまいました。車輪の径が3cm程度と、最近のスーツケースには無い小さいものであり、Amazonなどで販売されている、交換用車輪が使えません。苦し紛れにUV硬化樹脂とトレッド付きゴムシートで車輪を覆いましたが、あまり快適ではありませんでした。

 

30年程度保有していたスーツケースは、環境の変化により不必要になってしまいました。思い出のたくさん詰まった、からのスーツケースですが、手放すことを考えています。高城剛さんの著作の影響も大きいです。