私は1996年に初めてホームページを作り、阿部寛さんのホームページのようなシンプルな構成で、ホームページ作成に必須だったHTML文を習いながら、情報発信のようなものを行っていました。当時はほぼ毎日1冊の本を読んでいたので、本の感想文をアップしていたのと、「あなたへのメッセージ」と言うことで、ホームページを見てメールを下さった方との双方向的なコミュニケーションを、ほぼ毎日更新していました。振り返ると、今で言うSNSのようなコミュニケーションを、ホームページにより行っていたのだと思います。このホームページはプロバイダ変更とともに、あっさりと消滅しました。
その後情報発信を積極的に行ったのは、某マップサイトのレビューでした。レビューの数に応じてレベルが上がり、当時は最上位まで上り詰めると某社の本社に招待してくれる旨の噂を見た記憶があります。数年前までは、新作スマートフォンを安価で購入できる特典がありましたが、最近はお褒めのメールが時々届くくらいになっており、某マップサイトのレビューは、ユーザーを集める段階が終了したのかなと思いました。今では、飲食店専門の評価サイトを凌ぐ精度の、レビューサイトになっていると思います。店に忖度しない、正直なレビューが多いと思いますし、私も限りなく正直な意見を述べていました。
あとは、某通販サイトの商品レビューをかなり行いました。これも比較的、いわゆるアーリーアダプター的な特典で、色々な商品をレビューしてきました。レビューしてきた商品の数々は、生活の質を確実に向上させてくれ、快適な生活を送る一助になったのは間違いありません。しかし近年の傾向では、某国の製品が95%以上を占めることとなり、それこそ超限戦のような勢いで商品のイメージを形作る戦術が繰り広げられました。ただし、誤解していただきたくないことは、某国の製品は「安かろう悪かろう」の製品も多かったですが、評価を重ねるごとに、品質が向上していましたし、日本のメーカーが作らない領域の製品にまで、確実に進出していました。私は一時期、動画撮影に凝っていたのですが、カメラのアクセサリー類は某国の同じ地域で開発され、頻繁にリリースされていました。
カメラという単語で少し脱線しますと、2024年に公開された映画「シビル・ウォー」で、報道カメラマンと彼女に憧れて同行するカメラ女子(?)の保有していたカメラとそのカスタマイズが結構象徴的で、ストーリーよりもカメラを見ていました。主人公の報道カメラマンは、ソニーのカメラを保有していましたが、「SONY」のロゴを黒テープで隠して、なぜか「α(アルファ)」の製品名はテープで隠していませんでした。彼女は最新鋭のデジタルカメラを所持していました。対してカメラ女子(?)は、NIKONの銀塩カメラでモノクロームの映像を撮影していました。レンズまで特定できませんでしたが、50mmではないかと思います。彼女はNIKONのロゴを消さず、最近流行りのストラップを使ってカメラをぶら下げていました。ここまでこだわるのなら、カメラバッグは「DOMKE(ドンケ)」を持って欲しかったですね。「シビル・ウォー」のカメラを見て、日本のカメラメーカーの位置付けを感じました。
そしてカメラの話から動画に移るのですが、アメブロでも公言していますが、私はYouTubeに動画を投稿しており、度々アメブロでも紹介していました。最初は、動画を撮影し、ソフトウェアで編集し、発信するプロセスが楽しくて、さまざまな撮影機材、編集機材等を検討してきました。チャンネル登録者数は、5年かけて985名と、じわじわと増えて、収益化の条件となる試聴時間は早々に達成していたのですが、チャンネル登録者数がようやく1000名に達しようかとしています。しかしながら、あることをきっかけに、動画撮影と情報発信について、冷静に考える機会を得ました。それまでの私は、何かを焦っていました。
振り返ると、ホームページ作成は私の生活環境の変化でふと冷静になり、マップへの投稿は飲食店のレビューに傾倒した時点でふと冷静になり、通販サイトのレビューは、レビュー対象の製品の傾向に気づき冷静になり、YouTube動画に関しては、発信する内容についての方向性をよく吟味する必要があることに気づき、冷静になっています。
全てに言えることは、自分が楽しんで、時間を忘れて行っているうちは良いのですが、数字を追い求めるようになると、無理が生じるということでした。
アメブロは正直なところ、YouTube動画を紹介する場であることと、アフェリエイトを展開する場と考えて、アクセス数や順位(私は「オヤジ」分類に属しています)にこだわりながら始めたのですが、最近では、私自身の考えをまとめたり、過去を振り返ったり、未来に想いをはせるツールとして使うようになりました。今は、ほぼ毎日投稿していますが、またいつものように冷静になる時期が来るかもしれません。これを世間では「飽きっぽい」というのでしょうが。