午前中の公園の近くを通り掛かった。
中を見ると球当て用の壁があって、そこに老婦がひたすらテニスボールを打ち込んでいた。
暇なんだろうけど、そもそもそれって楽しいのだろうか。
俺にはとても真似できそうにないと思った。
こりゃ老後の生活は俺には無理だろううな。
タバコを吸って少し眺めた。
どういう最期を迎えるか、きっとそれを自分で選ぶ時代が来るんじゃねぇかな。
じゃないとどちらにしろ俺は溢れちまう。
そう思った。
俺は富士の樹海かな。
まぁその前に戦争に駆り出されるかも知れないけど。
どの道俺の思うようにはならねぇわな。
帰り道、偶さか友達と会って、久しぶりに飲みにいく事になった。
「○○○依存性かも」
って相談をされた。
またいきなりすげぇのが飛んできたよ。
話を聞いても、なんて言ってやりゃ良いのか分からない。
他に甲斐を感じられるものがないんだって。
実際それは、みんなそういうもんじゃないかと思った。
俺も依存するものがあるし、モノは違えど角度は同じかもなと思った。
いつか誰かも言ってたけど、何処かで何かに縋って生きてるんだろ。
て事は、じゃないと死んじまうって事なんじゃねぇの。
そんな感じで覚束ないもんなんだよ、生きるって事は。
まぁ俺が何を偉そうにって話だよな。
勿論自分でそう思っていた。
午前中公園で見た老婦を思い出した。
彼女はラケットを通じて、宙空の球を捉えた。
それが手応えってやつだ。
手応えを感じる為にあれをやりおおしていたのかもと思った。
言い換えればそれは、生きている事の手応えそのものなんじゃねぇか。
そう考えると、何だか辻褄が合うような気がしてきた。
ラケットが球を叩く度、
「生きてる!」
「生きてる!」
って鳴ってたのかもね。
まぁ、自分が何を言ってるのかよく分からないけど。