今回の〔小とりっぷ〕東北・北海道シリーズは、青森県の弘前を始点に、北海道新幹線で道南にわたり、木古内~大沼公園~森町、そして、洞爺湖、真狩村、余市を経由して、最後に小樽をめぐります。

今回は、みちのくの小京都とも称される、[弘前]の歴史的な街並み散歩いたします。

  

お城の前に、周辺の二ヶ所をチェケラッチョ。

 

«津軽藩ねぷた村»

弘前公園の東北の角に面した位置にある、人気の観光スポットです。

津軽三味線の生演奏が聴け、通年・ねぷたの山車の見学も出来、さらに、りんご直売、[貝焼き]や[けの汁]を戴けるレストラン、お土産の販売コーナーも充実しています。 

    

 

三味線の演奏を聴くには、大人550円の入場料が必要ですが、ねぷたコーナーでは、青森の人形ねぶたと、弘前の扇形ねぷた違いの解説、伝統玩具の実演など、趣向を凝らしたプログラムを堪能できます。演奏を見せてくれたのは、山田三鉱会の工藤純一さん、川村富士見会の工藤文子さんです。下北の荒波のような激しいバチさばきGOOでした!

               

«弘前の城下町・仲町(なかちょう)»

弘前城の北側の凡そ10ヘクタールに武家屋敷町が存続し、全国で100程の文化庁指定・重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。写真下左は旧梅田家。

 

 

往時の地割りが今も踏襲され、道路沿いに連続するサワラの生垣、点在する門や板塀、土塀、前庭の樹木、そして幾つか残された木造りの主屋とともに城下町の雰囲気を残し、通りから岩木山を望む眺め(写真・左下)は独特の景観。サワラは、ヒノキ科の針葉樹で、この地区だけでなく弘前の一般家庭で、今でも生垣として使われています。

                 

一般公開されている古民家には、移築復元されている伊東家(津軽藩時代の藩医、中級武士)、梅田家(幕末・嘉永年間に建てられた中級武家屋敷・写真上)、そして岩田家(中級武家屋敷、青森県県宝)が一般公開されています。公開されている家にはボランティアの方が居て、説明もして戴けます。公園に面し、黒石で有名な[がんぎ]を備えた石場家は現在も酒屋として営業されています。写真左下は岩田家

 

 

 

さて、いよいよ、町並み散策の後は、本丸・弘前城に分け入ってみましょう。

 

«弘前の歴史と弘前城»

貝塚も出土する弘前は、弘前城を中心に、明治以前、津軽の中心として大きく発展していました。しかし、明治以降、青森市が県庁所在地となり、徐々に衰退していきます。

現在は、東北の観光地として人気の町です。桜の時期には、町の人口が観光客で2倍になり、また、名産のリンゴが美味しい9月も観光のお奨め時期。町の象徴・弘前城は、昨2016年、石垣工事の為、70m移設され、10年をかけた石垣の修復にのぞんでいます。

 

お城の歴史を紐解くと、15世紀末、初代の藩主となる大浦為信(後の津軽為信)が豊臣秀吉の信任を受け、大浦の地を津軽と改称。1600年、関ヶ原の戦いで徳川につき、弘前藩が成立します。1603年、為信が鷹岡(現・弘前)に築城を開始、城下町の町割りも定めました。当時、そこ高岡(鷹岡)は、鷹の生息する森林地帯に過ぎませんでした。

写真下は、北側から城に向うと、亀甲橋に続いて現れる、亀甲門(郭北門)

 

 

 

1611年、二代目の藩主が額田にあった大浦城や堀越城の一部を活用するなどして完成させます。16年後、天守は落雷により消失しますが、町は津軽の中心として繁栄、1810年、9代藩主により、実質の天守として、三層三建ての三階建ての櫓(やぐら)として再建されます。

本当は石垣の上、平山の角に位置しているが、現在は移設・仮置きされています。

 

城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城で、38万平方メートルの広大な敷地に、創建当時の塀、石垣、土塁等の全容が残され、広大な敷地が春には桜の名所となっているのです。

 

現存まで残る建造物群は、二の丸の現存櫓は三層の辰巳櫓、丑寅櫓、未申櫓の三棟で、すべて国の重要文化財です。下の写真は、与力番所杉の大橋

 

 

門は、三の丸・追手門、三の丸・東門、二の丸・南内門の裏側(写真・左下)、二の丸・東内門の表側(写真・右下)、北の郭北門(亀甲門)の五棟がそれぞれ築城時の姿で現存。すべては国の重要文化財です。

  

 

                  [岩木山を背後に抱く、名城・弘前城]

現存する12天守の中では比較的小振りですが、門、櫓など多くの関連施設と共に残るその姿は勇壮で迫力に満ちています。数年後、石垣の修復が終わり、元の位置に着座した際には、再訪したいと思います。

 

«禅林街»

最後に、JR弘前駅から弘南バス茂森方面行きで15分、茂森町長勝寺入口下車にある、禅林街を、ご紹介します。

 

 

NHKの人気番組『ブラタモリ』が弘前を紹介するあたり、重要視したのがこの通りでした。以前は各地に散っていた寺を、弘前城の建築に合わせ移設、通りの要の位置に長勝寺、そして、並木道沿いに並ぶ33の寺院すべてが曹洞宗の禅寺で、禅林街と呼ばれているのです。

 

 

 

写真・上左は重要文化財の栄螺堂。一直前に続く道の両側全てが、曹洞宗の禅寺です。

さて、次回は、弘前の繁華街に多く残る、洋館などの弘前市が認定する[趣きのある建物]を中心に、めぐっていきます。