近江八幡は、琵琶湖の中央・東に位置する町で、かつて城下町として栄えました。あまり知られていませんが、和風のお屋敷だけでなく、洋館も多く、町並みの保存に力を入れていた為、観光客が急増している穴場エリアなのです。
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近江八幡の町は、天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に築城したことにはじまります。楽市楽座などの秀次の商業施策で発展するも、5年後の国替えで、城主が交代、それから5年後の文禄4年(1595年)に廃城となってしまいます。
しかし、そもそも近江の地は東西を結節する交通の要衝で、大坂や江戸、東北まで販路を広げた近江商人の活躍もあって町は発展を続けました。そんな近江商人の家々が並び立つ、新町や永原町には、碁盤目状に整理された綺麗な町並みが残されています。
また、日牟禮大社と、その周辺・八幡堀に面した土蔵群が往時の繁栄を偲ばせるだけでなく、ヴォリーズによる洋館建築にも見るべきものが多く、散歩好きにはとても魅力的な町となっています。
▼日牟禮大社
日牟禮大社の参道には、昨今、デパ地下で人気のバームクーヘンのチェーン店「クラブ・ハリエ日牟禮ヴィレッジ」の旗艦店があります。
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▲八幡堀り
八幡掘りは八幡城の造営の際、琵琶湖と街を結ぶ水路として建設されました。城が無くなった後でも、町の発展の礎として利用されました。
▲八幡堀り
今では観光用の舟遊びができ、往時を忍ぶ一画として、観光客に人気のエリアです。特に、紫陽花の時期がお奨めです。
▲市立八幡小学校
▲旧西川家住宅
西川家は、蚊帳・綿・砂糖などの生活雑貨で財を成した豪商の屋敷です。した。江戸中期の建物で、間口は13.0m、奥行きも15mほどあり、中には当時の調度品が展示されています。
▲白雲館
日牟禮大社の参道口にある、旅行者向けの休憩所。1877年、日本人建築家による疑似洋風建築様式の学校として創建され、以後は役所などとしても使われた近江八幡を代表する建築物のひとつ。
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近江で夕食と云えば「近江牛」。中でも、地元で最も人気のあるお店「ティファニー」の近江牛のフィレ・ディナーを戴きました。近江牛を全国に広めた牛肉半場業者「カネ吉」の直営で、前菜からデザートまで、手が込んでいて、リーズナブルなコースでした。
▼近江に行くなら「ティファニーで夕食を」
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近江八幡に暮らしたアメリカ人建築家 ヴォリーズ
■ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年~1964年)は、アメリカ生まれ、1905年に近江八幡に英語教師として着任、以後、日本人女性と結婚、この町に住み、全国に1,600もの西洋建築を手がけました。
ヴォーリズの会社のひとつは、のちに近江兄弟社(メンソレータム・現メンターム)となり、メンソレータムを普及させた実業家でもある。
また、讃美歌の作詞作曲なども手がけ、日本のプロテスタントの要人のひとりでもあり、更に、第二次大戦後の米軍と日本政府の仲介役としても活躍、「天皇を守ったアメリカ人」とも評されている。
▲旧八幡郵便局
近江八幡に住んでいた建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した旧郵便局で、現在は彼の記念館として内部も公開されています。
▲ダブルハウス (池田町洋風建築街) ▲アンドリュース記念館
▲池田町洋風住宅街
▲吉田悦蔵・邸
ヴォリーズの建築特長は、初期アメリカのコロニアル風。実用性と穏やかな美観が混じり合ったプロテスタント様式です。
▲近江八幡教会
▲近江八幡教会・牧師館 ▲近江兄弟社=資料館は平日のみ
▲近江金田教会
ヴォリーズ事務所は、彼の死後も維持され、現在も教会建築や学校建築などで活躍しています。
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散歩途中には、カネ吉のお肉屋さんで、近江牛カツを買い食いです。
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重要伝統的建築物保存地区として、数多くの江戸のお屋敷を残す近江八幡の町には、江戸から昭和初期までの、バリエーション溢れ町並みが見られ、散歩好きにとっては思いの外、魅力的な町でした。
ここでは紹介できませんでしたが、近江八幡には、八幡山のロープウェイ、北の庄緑地などの観光地もあります。ぜひ、また来たいと思います。
次は、琵琶湖をクルーズして、「源氏物語」誕生の地・石山寺に向います。