今朝、テレビを付けたら芦田愛菜ちゃんの『信じること』についての発言が話題になっていました
「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました。
でも揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました。」
私は以前ご縁のあったパートナーが、仕事で自暴自棄になっている時に”こうあってほしい”という期待が強く、その期待に反する行動をする彼にイライラして当たってばかりいました
当時は気づきませんでしたが、彼に対してではなく、彼の態度を受け入れられない自分に苛立っていたのです。男として弱音を吐けず、もって行き場のない苛立ちや寂しさを私は受け止めることが出来ませんでした
彼も自分自身に苛立っていたのかもしれません
残念ながら私は今でも、母親に対して同じような行動をとってしまうことがあります
こういう所は許せないとか、こう言われたことは一生忘れないとか、
つい言ってしまうことはあるけれど
分かってほしいと思う前に分かってあげる方が先ですよね、本当は。
相手は自分を写す鏡…
「自分の心の状態が、相手の態度に映し出されるように現れる」
相手の嫌だと思える言動や行動は、実は自分自身の人間性が試されていると言われます
私は、母親のそれを受け入れてあげられた時、本当になりたい自分になれる気がします
信じること、揺るがない軸を持つこと
