対談44『維新と終戦って、似てるらしいねー』
鬱の宮高校の悲劇 番外編
対談44『維新と終戦って、似てるらしいねー』
七雲: 明治維新と昭和の終戦は、似てると言われることがままあります。
緑子: 前もなんかこんな標語あったな。
ていうか平成デモクラシーなんて造語、あんま聞かないぞ。
大正デモクラシーとも最近は言わないようだし。
七雲: いいんです。
他人と違うからこそ素晴らしいんじゃないですか。
そういう姿勢を、最近忘れてませんかー?
平成デモクラシーという呼び方も、手垢がついてないぶん新鮮です。
あと、大事な標語は何度でも繰り返しますよー。
それから、これは一応新作の絵です。
……で、続きです。
明治維新と昭和の終戦についての考察です。
旧来の勢力(武士・軍部)が一挙に影響力を失う。(明治維新・終戦)
↓
足枷がとれた日本はその持前の勤勉従順さで、
経済的にも文化的にも急速に成長する。(昭和高度成長・明治近代化)
↓
経済の絶頂期。 (バブル景気の頃 ・ 日露戦争から第一次大戦の頃)
↓
それより 一歩遅れて文化の絶頂期。 (平成クールジャパン ・ 大正デモクラシー)
ただしこの頃には再び硬直化して風通しがわるくなっており、経済の衰退が始まる。
↓
なぜか折り悪く起きてしまう、大規模自然災害(関東大震災・東北大震災)
その非常事態モード突入と同時に「異論は許さない」という風潮が台頭する。
↓
なまじ文化が絶頂期なので、経済の衰退硬直化を素直に反省できない。
「俺らが優秀なのに物事がうまくいかないのは、外国人の陰謀のせいだ」
という八つ当たり的な国粋主義がチラホラ出て来る。
七雲: …と、ここまでが現時点まで。
なにやら似たような経緯をたどっています。
緑子: 一つの国の興亡の歴史では、
経済の絶頂期と文化の絶頂期は、微妙に時期がズレることも多い。
国力が充実して人々に余裕が出来て、それで文化へ回せる余力が増える、
ということなのかもしれんな。
七雲: この先、昭和の時代はこうなりました。
↓
比較的短い周期での改元。(大正から昭和へ)
↓
全体主義と自由主義の最後の抗争。
軍縮(つまり財政再建)を中途半端に試みては失敗を繰り返し、
国民のあいだに自己改革へのウンザリ感が生まれる。
↓
全体主義の勝利。
日本のやり方は いつも絶対に正しい という無反省なモノの見方が主流になる。
悪いところを何一つ変えられなくなる。
↓
負けても負けても
「俺らは正しい。負けるわけがない。負けるという奴ァ非国民だ」と
全滅玉砕を繰り返す。
↓
大損害を出して滅亡。
↓
旧来の既存勢力(軍部)が一挙に影響力を失う。(終戦)
↓
足枷がとれた日本はその持前の勤勉従順さで、経済的にも文化的にも急速に成長する。
緑子: なんかのー。 似たような道筋をたどりそうな予感、プンプンじゃ。
この先が幕末のような長期衰退になるか、
第二次大戦のような短期滅亡になるか、それはわからない。
私の希望は、
この「繁栄 → 一度は滅亡 → 再生」
というステップの真ん中を、
今度は是非省略したい のだ。
「繁栄 → 自浄能力の発揮 → 繁栄継続」 としたい。
「どーにも立ち行かなくなって、国が一度全部パーにならないと、結局何も変わらない」
という受動姿勢が、情けなくてしょうがないのじゃ。
つまり、 滅亡ガラガラポン を経ることなく、
日本史上ほとんど初めて自分の力で進路を変えたいのだよ。
できるものなら!
ま、30年後の未来に関心のない輩は
何を言ってるかどーせわからんだろうから、聞き流してくれ。
七雲: ちなみに 「この偉そうなのは一体誰の意見なんだ」
という質問への返事を、
あらかじめ管理人から預かって来ました。
「俺の意見だよ」
……だそうです。
この手のブログをやってると、
「自分の頭で考えるのはすべてデマ」と決めつける中傷屋さんが、
次から次へとご来店されるので、
管理人の言い方がどうしてもキツ目になってしまいます。
そうでない?普通の人は、事情を汲んでどうかご容赦くださいねー。
緑子: 異論があるなら これ以上の素晴らしい真説 を自分の頭で考えて、
自分のサイトで勝手に発表してろ。
七雲: あー。 また不要にキツい言い方ですねー(笑
