打ち合わせは、電話で2回のみ話をしただけです。
1回目の電話では、セレモニーの流れを確認。
試合が終わってリング上で記念品や花束贈呈、千春リングアナウンサーが経歴を読み上げ、淳一のスピーチ、10カウントゴング。
淳一「記念品や花束贈呈では人が多いかもしれないから時間の関係ないで経歴は無しで大丈夫だよ。」
千春さん「大丈夫。そんなに人が来ないから(笑)」
客入れ、休憩、記念品贈呈、エンディング、客出し曲は全て淳一のセレクト。
経歴を読み上げる曲だけは千春さんに選んでいただきました。
記念品や花束贈呈のセレモニーの曲は、
河島英五さんの『時代おくれ』を選びました。
セレモニーの最中は歌詞を口ずさみ。
常に「この歌詞のような男になりたい!!」と17年8ヶ月リングに上がり、プロレスに向き合いました。
「妻には涙を見せないで」
「不器用だけど」
「純粋だけど」
「昔の友には優しくて」
「変わらぬ友と信じこみ」
「あれこれ仕事もあるくせに、自分のことは後にする」
「飾った世界に流されず」
「目立たぬように」
「はしゃがぬように」
「似合わぬことは無理をせず」
格好いいことばかり言っていますが、実際には
「時代おくれ」の歌詞のような男には、ほど遠く、第二の人生の課題でもあります。
2回目の電話では、経歴を確認。
淳一「そのことはブログに書いてあるから読んでよ。ブログ見ていないの?」
千春さん「読んでいるわよ。」
淳一「スピーチで泣くなよ。」
千春さん「淳ちゃんだから泣かないよ(笑)」
引退興行当日も引退試合から後のことは全て千春リングアナウンサーに。
全体の進行は弥武リングアナウンサーに任せていましたので当日は淳一は受付業務に専念できました。
試合後にマスコミの方から、
「今日は色々、忙しく大変でしたね。」
と言われましたが、大変なことは5人のリングアナウンサー、レフェリー、スタッフ、アイスリボンのみんなが協力してくれたので何一つ大変なことなど無かったです。
千春さんの経歴紹介では、笑いあり、涙ありの素晴らしく心に残るもの。
「ちーちゃんに任せて良かった。」
そう思えた引退セレモニーでした。
最後の挨拶は、初めの感謝を伝える内容と結びの沢山の方にお世話になってリングをおりること。
それだけは決めていて、後は何にも用意をしていなく自然と言葉が出てきました。
お聞き苦しい点はなかったでしょうか?
下記は最後のスピーチです。
「本日はお忙しい中、沢山のかたにご来場いただきまして誠にありがとうございます。
本来プロレスのレフェリーが引退試合をしかも自主興行で行うことは極めて異例なことで、プロレス業界になんにも貢献していない佐藤淳一ごときが行うこと自体、生意気で、勘違い野郎で、場違いで、プロレス業界用語で言うところの『顔じゃない』行為なんです。
そんななか、4月に引退を発表してから、沢山のプロレス団体様、先輩、後輩、プロレスラーの方々、関係者の方、マスコミの方に至るまで本当に協力していただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
2000年3月16日に幸運なことにもIWA・JAPANプロレスでレフェリーデビューさせていただきました。
17年と8ヶ月。
永きに渡り、リングに上がり続けることが出来たのも、いままで出会ったすべての方の支えがあったからこそだと思います。
引退の理由は自身のブログにも書きました通り
『奥さん孝行』をします。
2005年に妻は脳の病気で大病を患い、1年間の入院生活を経て退院しました。
今でもハンディキャップが残っていますが、一生懸命生活しています。
あと10年、あと10年、自分が健康であれば、たぶんリングに上がり続けることができると思います。
ただ10年後、奥さんは僕より4つ年上ですので50歳を越えてしまいます。
今よりも制限が出て、満足に奥さん孝行ができないかもしれないです。
そういったことも含めて今回引退を決意しました。
名前は伏せますが、愛妻家で、子煩悩で、デスマッチのカリスマと呼ばれている先輩がいるんですが、この話をしたら
「佐藤くんは、男の鏡だよ」
って言っていただきました。
そのときに、僕は言い返せなかったのは、
本当の「男の鏡」は、奥さんが辛い病気になったときに、大好きなプロレスを辞めて、奥さん孝行をすることが「男の鏡」だってことをその先輩には言えなかったです。
本当に弱い人間なんです。
今日もいつものように家を出る際に、大好きなプロレス会場に背中を押してくれた妻に、家に帰ったら恥ずかしくて言えないので、この場を借りてお礼を伝えたいと思います。
真琴さん、いままでありがとうございました。
自分はプロレスを通してたくさんの方に出会いました。
たくさんの方に出会い、
たくさんの方に教えられ、
たくさんの方に叱られて、
たくさんの方にご迷惑をかけ、
たくさんの方に励まされ、
たくさんの方に支えられ、
そして、たくさんの方に応援していただき、今日、こんなにも素晴らしい引退試合を迎えることができました。
佐藤淳一、プロレス人生に悔いはありません。
本日は、ご来場いただきまして、そして最後までご観戦いただきまして、誠にありがとうございました。」
10カウントゴングの後には、青と白、ベイスターズカラーの紙テープが舞いました。
今、自分の手元には一つ記念に残るようにとファンの方が紙テープを投げ入れをせずにプレゼントしてくれました。
粋な方ですね。
本当に悔いが無くリングを下りることができました。