2000年3月16日IWA・JAPANプロレスで幸運なことにレフェリーデビューさせていただきました。
IWA・JAPANプロレス在籍時に交際をして2001年11月22日に妻と結婚をしました。
本日は16回目の結婚記念日です。
ごく普通の夫婦生活をしていましたが2005年に妻が脳の大病を患い1年間の入院生活を経て退院しました。
退院した妻ですが現在身体に障害が残りながらも自宅で生活をしています。
今回、引退を決めた理由は、
『奥さん孝行』
自分の生活のサイクルは平日は印刷会社営業の仕事をして休日にプロレスに関わらせていただいていました。
プロレスが無い日も野球を観に行ったり、ゴルフに行ったり。
平日夜は、アイスリボンを広めようと蕨・西川口へ呑みに出掛けたり(笑)
(呑みに行く口実です。)
自分の好き勝手の生活を送ってきました。
自分の身体が健康なうちはあと5年でも10年でも使っていただける団体様があればレフェリーとしてリングに上がり続けることは可能だと思います。
5年後、10年後は人間は老化が進み今よりも何かやるにしても制限が増えてしまうかも知れません。
特に障害のある妻は尚更です。
今でも観光名所に行っても急な坂や手すりがない階段などにより満足に観光を楽しめない妻がいます。
そんなことなどを考え、この機会にレフェリーを引退して奥さんのために時間を使うことを決意しました。
奥さんからすれば大病を患ってから10数年間待っていたので『いまさら』と不満があるでしょうが…。
「淳一さん、奥さん孝行ステキです。」
よく言われますが、
『奥さん孝行』格好いいことを言っても長い間
待たせていたことは事実。
淳一は最低なダメ夫です。
引退を発表してから
「プロレスが好きなのに未練はないですか?」
よくこの質問をされます。
何もできない、役に立たない、わがままな自分なんかが17年8ヵ月もの長い間、大好きなプロレスに関わることができ、リングに上がり続けることができて満足しています。
プロレスを通して、様々な場所にも行き、様々な経験もさせていただきました。
そして沢山の方にも出会うことができました。
その全てが財産です。
だから、プロレス人生に悔いはありません。
現役最後となる明日の引退興行の準備は人には頼まずにほとんど一人でおこないました。
面倒な席番も全て手書き(笑)
作業をしながら「あんなことがあったなぁ」と手を止め思い出にふけっていました。
至福の時間です。
一足早いですが、17年8ヵ月応援していただき本当にありがとうございました。
応援していただいた全ての方に感謝の意を込め最後のレフェリングも全力で!!