2004年1月12日DDT後楽園ホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

はじめに。

メディア情報です。

11月8日(水)発売 週刊プロレスさんに掲載されています。

11月15日(水)22時オンエア サムライTV  速報バトルメン出演予定。

皆様のお力添えのお陰でありがたいことにメディア出演させていただきます。

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2003年10月26日松田慶三選手の自主興行で
IWA・JAPANプロレスを飛び越えて三宅選手をオファーしたことにより、淳一レフェリーは
フリーで上がっていたIWAをカットされます。

会社で、いうところのクビです。

クビになった理由が

『DDTに参戦しているから』

という理由にすり替えて伝わっていることに腹が立ち(DDT参戦は浅野社長公認でした。)

『こうなったらIWAのお客さんをDDTに引っ張ろう!!』

と逆に反骨精神が働き躍起になっていました。

IWAでは古のガイジン路線にシフトチェンジ。

スティーブ・ウイリアムス
アブドーラ・ブッチャー
デッド・デビアス
アニマル・ウォリアー
ビッグ・ボスマン
バリー・ウィンダム
マイク・ロトンド
ハクソー・ジム・ドゥガン
ザ・ファンタスティックス
ロバート・ギブソン
マーティ・ジャネッティ
ジャイアント・キマラ
コンガ・ザ・バーバリアン
テリー・テイラー
ジョージ・ハインズ
ジョニー・スミス

スーパースターが数多く来日。

『IWAに残っていれば…。』

の思いは大きかったですが、よりDDTの活性化に繋がればと燃えました。

特に新年一発目のこの日、後楽園ホール大会ではチケット手売りに精をだしました。

お世話になっている人に年賀状では、DDT後楽園大会を告知。
四苦八苦しながらも約30枚のチケット予約をいただきました。

DDTに対してもこれだけチケットを捌いたのだからこれからも重宝されるし、株もあがったな。

と勝手に意気込んでいました。

今考えるとなんて器の小さな人間なんだとブログを書いていて恥ずかしくなります。

チケット精算のため後楽園ホール小部屋に並んで待ってました。

今でも鮮明に覚えているのですが、精算の順番はMIKAMI選手、健心選手、「昭和」子選手(現、バンビ選手)、淳一レフェリー。

MIKAMI選手が約100枚。

健心選手が約60枚。

バンビ選手が約80枚。

淳一レフェリー約30枚。

これには正直ビビりました。

沢山チケットを捌いたと思ったら並んでいる選手の中で一番低い数字。

聞くと高木三四郎選手は200枚オーバー。

DDTの底力を目の当たりにしました。

それでも淳一レフェリーは、反WA精神は変わらずDDTの発展に力を注いでいきます。

明日からのブログは少し暗い内容が続きます。