大会は松田慶三選手とYUJI KITO選手が中心となり自主興行として行われました。
と言っても浅野社長には、大会を開催する旨を伝えており、IWA公認の自主興行です。
大会前にマッチメイクで悩んでいる松田慶三選手を目の当たりにして淳一レフェリーが話に加わります。
松田選手「ヒールのレスラーをブッキングしたいけどどうしたものか?」
淳一「三宅綾選手だったら話できるのでしてみましょうか?」
松田選手「本当?よろしく頼むよ。」
こんな感じで三宅選手のオファーを任されました。
三宅選手に連絡すると「わかりました。」とオファーを快諾していただきました。
対戦カードは、
三宅綾
vs
岸勝也
三宅選手を管理しているIWAは知らない話です。
何事もなく試合は行われ、何事もなく大会は終了しました。
後日、試合結果をみたIWA営業部長Oさん、浅野社長は、
「三宅が出場するなんて聞いていない!!」
と大激怒。
誰がオファーしたのか犯人探しをはじめます。
結果、淳一がオファーしたことがわかり決まっていた11月の後楽園大会の出場は白紙になります。
噂話は恐ろしいもので、淳一がIWAに呼ばれなくなった理由は、
『DDTに参戦しているから』
浅野社長からDDTに参戦することは公認だったはず。
自分が筋を通さず(IWAに断りを入れずに三宅選手をオファーしたこと。)が原因でIWAを干されたのに、真実を曲がってプロレス関係者に伝えられたことに逆に腹が立ち
『IWAなんて潰れちまえ!!』
と感情を露にしました。
『オファーをいただくDDTに少しでも貢献しよう!!』
アンチIWAの怒り全てをDDTが良くなるようにと力を注いだ時期でした。