2001年6月14日IWA・JAPANプロレス山形市総合スポーツセンター | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

シリーズ最終戦の山形市総合スポーツセンター大会。

前日の酒田大会終了後には、山形市に戻り昨日と同じ旅館に宿泊します。

昨日同様に一宮章一選手、石井智宏選手は夜の街に繰り出し酔っぱらってご帰還。

またも淳一レフェリーは石井選手にちょっかいを出されます。

淳一「勘弁してください~。」

石井選手「淳平はショッパイ奴だなぁ~」

この頃の石井選手は、淳一のレフェリングを見て「ショッパイ」を連呼していました。

自分でも自覚する

「ショッパイ、レフェリング」

何も言い返せませんでした。

山形3連戦では、淳一レフェリーの負担を軽減するためにあるレスラーが素顔でレフェリーとしてリングに上がっていました。

リングネームは「ちょんぼ増田」

マスコミも疎らな大会でしたので、
面白半分で決めたであろうリングネーム。
このいい加減さがIWA・JAPANプロレスでした。

試合開始が18時30分~でしたので、淳一レフェリーとウルトラ・セブン選手(高杉正彦選手)は、他の選手とは別行動でタクシーに乗り、大型パチンコ店へ。

2人で並んで「天才バカボン」を打ちます。

セブン選手「おっ!!白イヌが出た!!」

※高確率の「白いウナギイヌ」のことです。

セブン選手「当たった!!」

と大連チャン!!


淳一「そろそろ会場に行きますが、
高杉さんはどうしますか?」

セブン選手「さとちゃん、タクシー乗って先に行ってて。」

集合時間になっても終わりそうにないためにセブン選手を残して会場入り。

その後、マスク越しにもわかるホクホク顔でご機嫌に現れました。

セブン選手「さとちゃん、タクシー代。」

とタクシー代+お小遣いをいただきました。

この大会では、強く記憶に残っている試合がございます。

ストリートファイトデスマッチ

三宅綾

vs

ミスター・ポーゴ

試合は、ポーゴ選手が凶器を駆使して三宅選手を大流血に追い込み、チェーン絞首刑で勝利。

試合前半に起こったアクシデントが今でも鮮明に憶えています。

いつものようにポーゴ選手があらゆる凶器攻撃を出し、観客もヒートアップ。

ポーゴ選手は履いていたブーツを脱ぎ、
ブーツで三宅選手の頭を叩く攻撃。


三宅選手をロープに振り、手に持っているブーツで一撃!!
(写真はイメージです。)

ブーツは勢い余って客席に一直線!!

普段は大きな弧を描いて飛んで行くのですが、この日はストレートにリングサイドのお客さんの元に飛んでいきました。

ブーツは3列目くらいに座っている男性の顔に命中!!

ボクシングのKOシーンのようにイスから崩れ落ちます。

その光景を見たお客さんからは笑いが起こります。

淳一レフェリーもリング上から見ていましたが、見事なKOと場内の盛り上がりで思わず吹き出してしまいました。

ふとポーゴ選手に目をやると三宅選手の首根っこを捕まえながら笑っていました。

男性が倒れてからここまで数秒の出来事です。

「キャー!!」

場内が笑いから悲鳴に変わります。

リング下に目を向けると男性の周りは血の海に…。

そこからはポーゴ選手が悪いことをしても三宅選手が起死回生の攻撃をしても観客の関心事は倒れた男性に向けられているため盛り上がりに欠けてしまいました。

試合が終了した頃に救急車が到着して男性は病院に。

ブーツが鼻に直撃したことにより、鼻から出血したようでした。

大会終了後、病院に向かった浅野社長とポーゴ選手は男性に謝罪。

当時はレフェリーデビューして1年ちょっとでしたので、どうしていいのか?
ただただリング上から様子を見ていただけの情けないレフェリーでした。