2000年5月27日IWA・JAPANプロレス札幌テイセンホール その2 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

その後、休憩時間に入りますが、控室が何やら騒がしくなっています。

お客さんには、伝わらないが、淳一レフェリーには、不測の事態が起きたことは、何となく察しがつきました。

菊地リングアナウンサーや若手レスラーが控室とリング周りを行ったり来たり…。

『何かあったな?』

と思わずにはいられませんでしたが、
ぺーぺーの淳一レフェリーが

「何かあったんですか?」

なんて聞けるハズもなく雑務をこなしていました。

休憩時間が終わり、後半戦にうつります。

浅野社長「もういい!!ジェイソンは、試合に出なくていい!!」

どこからともなく、浅野社長の怒号が聞こえました。

『ジェイソンと揉めたな!?』
※淳一レフェリー心の声。

浅野社長とジェイソン選手が揉めた理由は未だにわかりませんが、事の始まりは前日のホテルでの密談からあったと推測されます。

菊地リングアナ「メインに出場予定のジェイソン・ザ・テリブル選手ですが、負傷により急遽欠場致します。代わりに札幌市出身の宇和野貴史選手がメインイベントに出場します!!」

場内は宇和野貴史選手の応援団が多数いたお陰で大きな混乱も起きずにカード変更に至りました。

メインイベント
スクランブルバンクハウス6人タッグデスマッチ

宇和野貴史
山下義也
レザー・フェイス

vs

フレディ・クルーガー♯3
ジャガー・ナット
ターザン後藤

メインが始まり、淳一レフェリーがとった行動は…。

売店にあるジェイソン選手持ち込みの
Tシャツを素早く購入し、自身のキャリーバックにしまいました。
(浅野社長と揉めたので購入するチャンスは今しかないと思っての行動。)

恥ずかしながら、ファン気質がレフェリーデビューしても抜けませんでした。


今でも着ています(笑)

バックにはIWA世界タッグチャンピオンとプリントされています。


試合は、山下選手がターザン後藤選手のビール瓶攻撃により、試合途中で戦線離脱。救急車で病院へ搬送されます。

2対3のハンデ戦となりながらも、宇和野選手が奮闘しますが、1日2試合のダメージが深くフレディ選手にピンフォール負け。

リング上をクレージー・バッファローに乗っ取られたIWA軍。

助けに入ったのは、初来日のオカマレスラー“ゴージャス”ミッシェル・スター選手でした。


最後は浅野社長にキスの洗礼。
最終戦でIWAサイドに合流しました。

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雑誌にも載っていない札幌大会『その後』
がございます。


浅野社長と揉めたジェイソン・ザ・テリブル選手。

最終戦の札幌大会後には、宣伝カー、選手バス、リングトラックに分かれて苫小牧港へ移動します。

苫小牧港からフェリーに乗船して茨城県大洗港(22時間の船旅)に到着し、都内へ向かう行程になっていました。

浅野社長は、札幌に宿泊して翌日の飛行機で帰宅。皆とは別行動でした。

浅野社長は、よっぽど深くジェイソン選手と揉めたのかわかりませんが、

浅野社長「ジェイソンは、バスには絶対に乗せるな!!北海道において帰れ!!」

とご立腹。

菊地リングアナやバスの運転手さんが何度も何度も

「本当においていくんですか?」

と問いただしても、浅野社長の答えは変わらず、バスは発車することに。

右も左もわからない外国人選手を一人で
北海道において行くなんて非情です。

すると日本語が少しわかるレザー・フェイス選手が

「ジェイソンが心配だから…」

とバスを降りて、ジェイソン選手と2人で札幌においてけぼりに。

非情にもバスは2人を残して、苫小牧港へむけて出発。

宣伝カーに乗車した淳一レフェリーは、
2人のことが気になり、営業のOさんにあれこれ質問しますが解決の糸口はありませんでした。

苫小牧港に到着すると、札幌においてきたはずのジェイソン&レザーの姿がありました。

どうやら心配に思ったファンの方が車で
2人を乗せて苫小牧港まで送り届けていただいたようでした。
※ファンの方には本当に頭が下がります。

菊地リングアナと営業Oさんが話し合い

「浅野社長もいないことですし、フェリーに乗せて帰りましょう。」

と決断。

ジェイソン選手は、泣きながら

「sorry」「Thank You」を繰り返すばかり。

しかし、東京に到着したら態度が豹変して

「あんな仕打ちをされたのだからベルトは返さない!!」

とベルトを持ち帰り韓国などで勝手にタイトルマッチをしていました。

後年、IWA世界タッグのベルトが新しく新設されたのはこのような経緯があったからです。

また、数年後WWS本庄大会でジェイソン選手が参戦した際にも、営業のOさんがベルトを返すように説得するも頑なに拒否。


犬猿の仲のダグ・ギルバート選手(フレディ・クルーガー)が言っていた

「あいつはジェイソン・ザ・テリブルではなくジェイソン・ザ・トラブルだ!!」

の意味が何となくわかりました。