2000年5月24日IWA・JAPANプロレス岩手・一関文化センター体育館 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

IWA・JAPANプロレスは、5月に東北・北海道大会を開催します。

5月24日岩手・一関文化センター体育館
5月25日青森・むつ市民体育館
5月27日北海道・札幌テイセンホール

淳一レフェリーは、普段は東中野にある旅行専門学校に通っていましたが、IWAの試合があるときにはプロレスを優先して学校を休んでいました。

この5月シリーズも最終戦の札幌大会が
土曜日でしたので、水曜日から学校を休んでいたことになります。

事前に菊地リングアナや営業のOさんに5月シリーズに参加する外人選手を聞き出していました。
(淳一レフェリーは、大の外国人レスラー好き、シリーズ前にはいつも誰が参戦するか聞いていました。)


5月シリーズには、
カナダにあるECCW(ECWとは別です。)
からオカマとデブとノッポが来日するよ。

その情報だけで後は何も知らせず当日のお楽しみに。

移動日当日、淳一のようなぺーぺーの
レフェリーは、大型の選手バスで移動し様々な雑用をこなさなければいけませんでしたが、営業のOさんと家が隣駅の関係から、Oさんの運転する宣伝カーで移動することになりました。(一緒に宣伝カーに乗車した人は、後にパチンコライターとして活躍するチャーミー中元さん。当時は、
世に出る前でIWAの売店のお手伝いをしていました。)

Oさんの運転する宣伝カー。
浅見レフェリーの運転するリングトラック。
大型の選手バスの3台に別れて開幕戦の一関を目指します。

会場に到着するとジェイソン・ザ・テリブル選手、レザー・フェイス選手の常連外国人選手に紛れて、ノッポ、デブ、オカマの
3選手が目に入りました。


“ゴージャス”ミッシェル・スター。
往年のリップ・ロジャースを彷彿させる
オカマレスラー。


“ビッグ”ジャガー・ナット。
ラフファイトもこなす空飛ぶ巨漢。
狂牛軍に加勢します。


205㎝の大巨人。
ゴリアス・エル・ヒガンテ。
日本マットにはW★INGのプエルト・リコ軍団で活躍。
WWFでのリングネームは、ケラガンとして有名。



そして、常連外国人選手のIWA世界タッグチャンピオン。
ジェイソン・ザ・テリブル。
レザー・フェイス。

一関大会の試合の記憶はございませんが大会後のことはよく覚えています。

翌日が青森・むつ大会でしたので当然、
宿泊を伴う巡業になります。

淳一レフェリーにとって初の宿泊巡業。

宿泊先はビジネスホテルではなく、健康ランド。

浅野社長を始め、ベテランのウルトラ・セブン選手、ターザン後藤選手、外国人レスラー、マネージャーMAYAさんも一緒です。

ファンの方は、ヒールもベビーフェイスも同じ宿泊先にいると不味いんじゃないかと勘ぐると思いますが、一定の距離を保ち乱闘が起こることはありませんでした。

淳一レフェリーは、大のお風呂好き。

試合で疲れた身体を浴槽に浸かり癒していると、身体のデカイ外国人選手がドカドカと入湯。

異様な光景で一般のお客さんは慌てて湯船から上がります(笑)

日本来日が長い、レザー選手、ジェイソン選手が銭湯の入りかたなどを教えているようでした。

就寝は、柔道場のような大きな畳の部屋で雑魚寝。

淳一レフェリーは、ぺーぺーなので入口付近で休みました。

翌朝、出発時間より少し早く目覚め、身支度をしていると大広間は、イビキの大合唱会。

淳一レフェリーも人の事を言えないくらい大イビキをかきますが、レスラーの方も身体が大きいために、イビキも半端なくかく方が大半です。

先に起きていたジェイソン選手が淳一レフェリーに近づき指差し、

ジェイソン「エイリアン!!」

続けて『腹からエイリアンが出てくるぞ』
と、ジェスチャーで面白おかしく伝えてきます。

指差した方を見ると、仰向けで大イビキをかいているターザン後藤選手でした(笑)