高校3年生。進路が決まらない!! | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

1998年9月7日にザ・グレート・カブキ選手が引退して窮地に陥るIWA・JAPANプロレスですが、淳一少年にも高校卒業後の進路について窮地に立たされていました。

神奈川県立商工高等学校電気科に在籍していましたが、
酒屋のアルバイト
プロレスのリングスタッフ
リッキー・フジファンクラブ
SPEEDの追っかけ活動
などに明け暮れていたために内申点が半端なく悪かったです。

先日、実家に帰った際に通知表を発見したのでご覧ください。


上の表を説明しますと、

1学年
出席すべき日数219日
欠席1日
遅刻3日
早退1日

※1年生の成績は電気科80人中7番目!!
(自分としては出来すぎの成績です。)

2学年
出席すべき日数217日
欠席7日
遅刻66日
早退1日

※遅刻の日数が66日と飛び抜けています。

3学年
出席すべき日数202日
欠席15日
遅刻104日
早退0日

※欠席15日、遅刻104日!!
出席すべき日数の半分以上が遅刻や欠席の割合。
3年生の成績は80人中58番目まで落ちる始末。

普通科ではなく電気科なので大学に進学する人は1割程度で大半が電気関係の会社へ就職を目指して進路活動をしていました。

中学生時代には、生徒会副会長や部活動を真面目に(2、3年生)やっていましたが、高校生では内申点を上げる活動はこれといって無し。

『リッキー・フジ公認ファンクラブの会長をしています!!』
なんて書けるわけもなく…。


大学に進学や電気関係の会社に就職を試みるも内申点(出席日数)が悪すぎて担任の宮野先生を困らせていました。

唯一、酒屋のアルバイトは真面目にやっていたので酒屋の社長から

「進路が決まらなければ、うちで社員になれ。」

と散々言われていましたが、その気は全く無く、進路が決まらず途方に暮れていました。


そんなある日、専門学校の説明会があり、

『これしかない!!』

と思い、父親を説得して願書を提出します。
2年制の専門学校でしたが大学並みに授業料が高く、許可してくれた父親には感謝しています。
特に入試などは無かったと記憶しています。

99年4月から通う学校は、東京・東中野にある

『トラベルジャーナル旅行専門学校』

色々な科がありましたが、一番オーソドックスな『旅行学科』を選択します。

進路が決まった淳一少年は、ひと安心していつものようにプロレス&アルバイト活動等に夢中になります。

高校入試→面接で苦労せずに入学。

専門学校→面接もせずに入学。

『これで2年間はまた好きなことして暮らせる』



写真は引退試合に最初で最後に撮影していただいたザ・グレート・カブキ選手。

自分宛のサイン色紙には、カブキ選手のサインの横に『根性』の文字が…。

苦しいことから逃れていた高校時代。
『根性』が無かった淳一少年のことを
カブキ選手には見透かされていたのでしょう。