ファンクラブ活動(会報その1) | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

リッキー・フジ公認ファンクラブ活動の会報作りについてのお話をします。

この頃、リッキー選手の公認ファンクラブ会長を務めながらリングスタッフは続けていました。

さすがにFMW関係者の方など(高橋部長を除く)に顔バレしてきたころからは、
FMWではリングスタッフのアルバイトは行いませんでした。

この頃は主に全女とIWA・JAPANプロレスを主に手伝っていました。




なかなか会員数が増えなく悩んでいた時期。

会場でのファンクラブ募集チラシ配りや
週刊プロレスの告知欄に投稿して集まったファンクラブ会員数は10名弱。


次に高校生の淳一会長がとった行動は、
FMW会場でリッキー選手へ声援を送ったファンの元へ休憩時間に伺い、ファンクラブ入会のお誘いや出待ちでリッキー選手に話かけているファンに声をかけるなど地道な作業の繰り返し。

その成果が少しづつ出はじめ、一人、二人と増えていき、正確な会員数は思い出せませんが30名前後の会員の方が在籍していました。

北は東北、秋田や宮城。
南は九州、福岡まで。


ファンクラブ活動の定番、会報発行もリッキー・フジ公認ファンクラブでは取り入れました。
自分が中心になり2ヵ月に1回くらい会報を作り→発送。
会員の方などにも頼んで地方大会の観戦記を書いていただいたり…。
淳一会長の次期シリーズの勝手な展望など。


先日、実家へ帰ると当時の会報が段ボール箱から出てきました。


そうそう、表紙の写真を2Lサイズに焼き増ししてワープロで打った台紙に貼り付けてコンビニエンスストアでコピーして、
ホチキスで綴じて製本。

懐かしいなぁ~。

と手にとってニヤリ(笑)
(テスト勉強などせずに会報作りに没頭していた高校時代。)


続いてパラパラめくり中身を確認。


顔から火が出るくらい恥ずかしい内容。
(編集後記では彼女が出来たとオノロケ話などなど。)

読んでいるのが恥ずかしくて直ぐに
段ボールに戻しました。


当時は会報が出来ると真っ先にリッキー選手にも渡していました。
(よく、こんな内容の会報を恥ずかしくもなく渡したものです…。)



何年か前にリッキー選手から、

「淳一が作っていた会報、まだ家に保管しているよ。」

と言われた時は非常に嬉しかったですが、




今の正直な気持ちは、


『リッキー選手、そんな会報もう捨てましょうよ。(笑)』