高校生の頃は7月に入ると長い夏休みに
むけてプロレス観戦やリングスタッフのことばかり考えていました。
アルバイト代をやりくりして夏休みを満喫していました。
今回も全日本女子プロレスのリングスタッフの話です。
全女の事をブログに書くと各会場で良く声をかけられ反響に驚いています。
さすが伝説の団体です。
97年か98年のお話。
全日本女子プロレスのリングスタッフで
忘れられない大会となりました。
会場は神奈川・JR大船駅の線路沿いの
空地。(おそらくJRの敷地です。昔からのファンの方は新川崎・小倉陸橋下特設リングを想像していただけると分かりやすいかと思います。)
会場はJR大船駅から少し離れており、西口改札を出て東海道線の線路沿いを藤沢駅方面にひたすら歩きました。
ナスシステムキッチンや武田薬品の工場を通りすぎたあたりの空地にトラックが止まっていました。
『あそこが会場かなぁ?』
近づいてみると顔見知りのスタッフがチラホラ。
辺りは、すすきが生い茂っていましたが、
プロレス会場になるだろう場所は、綺麗に草が刈り取られていました。
会場準備のスタッフが揃い、誰が言い出したか思い出せませんが、一人の全女スタッフがニヤニヤしながら、
『今日はみんな弁当二人分食べていいぞ。』
と言います。
何のことか分かりませんでしたが育ち盛り食べ盛りの高校生の自分は心の中でラッキーと思っていました。
炎天下の中、イス並べに取りかかります。
1列目20席、2列目24席、3列目28席……。
地方の特設リング大会、勝手な想像で8列四方の約1000席だと思い込んでいました。
しかし、この日は違い8列を越えても作業が止まりません。
10列を越え、12列…13列…。
とうとう15列目まで到達し、ようやく次の方角の列に取りかかりました。
一方向約500席!!
2方向を並べ終え(約1000席)、お昼休憩に入ります。
ミスター・ブッタマン選手はバテバテで弁当を食べるとリングトラックの影でぶっ倒れていました。


正直、自分も弁当を食べ終えると体力が奪われ口数が少なくなり下を向いてしゃがみこんでいました。
『弁当一人2個だからまだあるぞ。』
と言われても疲れで食欲はありませんでした。
仲の良い、川満くんと自販機まで飲み物を買いに行き、会場に戻ると、
今井リングアナ「野球経験ある?」
と声をかけられます。
自分も川満くんも少年野球の経験がありましたので『はい。』と答えると、
じゃあ、君はファースト。君は外野守って。
先ほどまでぶっ倒れていたブッタマン選手はキャッチャーのポジションに。
新聞紙を丸めてガムテープで作ったボールをピッチャーの今井リングアナが投げます。
笹崎レフェリーがバットで打つと外野を
守る自分を頭を越えホームラン!!
みんなケラケラ笑っていますが、真剣に
野球に取り組んでいました。
屋外特設会場では、このように休憩時間は全女スタッフは野球に没頭していました。
当時の淳一少年の心の声は
『この大人たちスタミナ半端ねー!!』
リングトラックが到着して、イス並べ再開。最終的には15列四方約2160席を並べました。
10人前後で2000席は後にも先にもこれきりでした。当時プロレスバブルで、こうした地方の屋外会場でも1000~2000席はザラでした。
後年、ガッツワールドプロレスリング所属時代に、今井リングアナにリングスタッフ時代の野球話をすると、
「あの当時、一緒に野球やったんだー。
全女時代の楽しい思い出ですよ。
こうして、何年か経ってアルバイトの高校生だった子がレフェリーとして同じリングに立つなんてプロレスって素敵な仕事ですよね。」
と言って目をキラキラ輝かせて話をしたのを強く憶えています。

(この回、また次回に続きます。)