岸さんからは、動きやすい服、靴(サンダル不可)、タオル等を持って来るように言われました。
初のリングスタッフは、FMW。
神奈川・いすゞ自動車大和体育館大会。
会場には、リングスタッフを仕切るパンチ田原さんをはじめ、学生プロレスの方、高校生らしき人、約15名前後がこの日のリングスタッフでした。
自分が面識がある方は岸さん一人。
他のリングスタッフの方は顔見知りらしく、和気あいあいとしています。
端の方で緊張して立っていると満面の笑みで岸さんが登場しました。
岸さんは、自分に一人のリングスタッフの方を紹介していただきます。
岸さん「彼、佐藤くんの一つ下の川満くん。」
川満くん「川満です。よろしくお願いします。」
淳一「佐藤淳一です。今日初めてバイトします。よろしくお願いします。」
川満くんは、驚きの中学3年生。
自分よりも背が高く筋肉質の体型で、好感が持てるほど礼儀正しく好青年でした。
以後、川満くんとは仲が良く、現在でも連絡を取っています。
ここでリングスタッフ・パンチ軍団について説明します。
パンチ田原さんは当時、ポスター貼り、
宣伝カー、優待券配り、イベント企画、
運営、会場設営、整理、撤去、
リング貸出し、パイプイスレンタル、などプロレス興行をサポートする
『なんでも屋』として活動していました。
背中にプロレス団体『リングス』のロゴに似たリングスタッフと書かれた
黄色いTシャツ(赤の時もあり)の記憶がある方もいるのではないでしょうか?

この日、パンチ田原さんからもらった名刺です。
自分はパンチさんから直に連絡がくるのではなく岸さんが仲介役になり仕事をもらう流れになっていました。
したがって休憩時間などでも、学生プロレス軍団、岸さんグループ、Sさんグループ(後の話に出てくる方です。)など派閥?
ごとになんとなく固まっていた気がします。
岸さんグループは主に高校生が多かった気がします。
リングスタッフの仕事初めは、
選手が到着前に会場の養生を敷きます。
リングが到着し、FMWの練習生、若手が
手際よくリング作りを行います。
パンチさんの現場では、リング設営は選手が行いましたので、この時もリングは神聖なものと感じていました。
リング設営と平行して、イス並べに取りかかります。
これが非常にキツかった…。
日時は忘れましたが体育館は冷房がきいていなく、蒸し風呂状態。
イスが収納してある場所は、体育館ステージ裏の地下倉庫。
さらに3連イス。
(イスが3個くっついています。
横浜文化体育館もこのイスです。)
地下倉庫から細い階段を使ってイスを運びます。
初めての作業で慣れてないせいか、腕や太ももはアザだらけに。
淳一「川満くん。けっこうしんどいね。」
川満くん「汐留よりは、楽ですよ。
あの炎天下で僕、500mlのポカリ10本くらい飲みましたから。」
ダラダラ作業をしていると、神経質に指示を出している眼鏡に小太り人がいました。
自分も持っていたイスを並べようとしたら
小太りの男性「キミ!!そこじゃないよ!!そこは終わったから向こうだよ!!」
何度かこの男性に怒られました。
淳一「あのデブ誰?」
川満くん「二宮さんっていってパンチ軍団ナンバー2の人だよ。」
NOWでレフェリーデビューしていた
二宮慎逸郎さんでした。
自分は神経質の二宮さんの事が大嫌いでした。
イスを並べたら、
「曲がっているから並べ直せ!!」
席番を貼っていると、
「そこの席番セロテープが足りない!!」
挙げ句の果て、選手にトイレの場所を聞かれたので教えたら、
「選手と気安く喋るな!!」
様々な事を自分だけではなく、アルバイトに怒っていました。
一度、何人かで懲らしめてやろうと計画したこともあり、その事をGENTAROさんに相談すると、
キンジロウ(GENTAROさんは二宮さんのことをそう呼んでいました。)なんか相手にするだけムダ。と笑われました。
GENTAROさんは大人でした。
自分も社会人になって、当時の二宮さんの行動が理解出来るようになりました。
その日払いのアルバイトを雇っている手前アルバイトがミスや無礼をするとパンチ軍団の評判が悪くなり、仕事が無くなる。
だから二宮さんは敢えてアルバイトに対して厳しく接していたのだと思います。
(自ら嫌われ役をかっていたのだと思います。)
二宮さんを通り越して、寡黙なパンチさんが怒ったときは、本当にヤバイ!!と思えるほどでした。
しかし、当時はそんなことも知らず、
二宮さんに怒られれば、ムスッとしたり、
二宮さんが失敗すると影で笑ってバカにしていたり…。
どうしようもない人間でした。
この記事、その2に続きます。