1996年8月1日FMW浜松町・旧汐留駅跡地 その1 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

タイトルが『汐留伝説』と釘打たれた大会。

FMWでは、汐留と川崎球場は『聖地』と
呼ぶに相応しい会場でした。

1990年8月4日、レールシティ汐留特設リングにて行われたノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ
大仁田厚  vs  ターザン後藤

初の電流爆破デスマッチとして今も伝説として語り継がれています。

今でも電流爆破デスマッチは、
『視覚』、『聴覚』、『臭覚』を兼ね備えた最高傑作のデスマッチだと思います。



初の電流爆破デスマッチが行われた際の会場が上の写真の通りです。

屋根が見えますが96年開催時には、屋根は無く首都高速道路の下の空地でした。
(初回と場所が微妙に違うのでしょうか?)



大会パンフレットです。
軍団別に色で区別されており、わかりやすいです。ポスターにも使用されていました。

淳一少年は、妹と観戦に訪れます。
妹の目当ては川崎球場大会より失踪中の
ハヤブサ選手。
調停役の大仁田厚氏が間に入り選手会長の中川浩二選手との一戦が決定しました。

夏休みということでわりと早くに会場に向かいました。
当時は何をするわけではないですが、開場時間の何時間も前から会場付近に居座っている熱心なファンでした。
この時に同じファン仲間との何気ない会話をしている時が無性に楽しくて今でも良い思い出に残っています。

ブルーシートで囲われた会場を覗くとリングが組まれており、椅子がきれいに並べられています。
この日は、真夏日。
強い日差しに反射されたパイプ椅子が眩しく、これから行われる大会に期待で胸を膨らませていました。

会場の中には黄色いTシャツを着た
パンチ田原さん率いる
『リングスタッフ』の方々が多数いらっしゃいました。

『あの中に岸さんいるかなぁ?』

昨日、南大沢マルチパーパスプラザ大会で知り合いになった岸さんを探しますが見あたりません。

『おかしいなぁ?今日、居るって言っていたのに。』

淳一少年は、リングスタッフのアルバイトに興味を持ち、この日、岸さんに会ったらアルバイトをしたい旨を伝えるつもりでいました。

ブルーシートで囲われた会場と受付の僅かな隙間から黄色いTシャツの人を目で追っていると衝撃的な光景を目にすることになります。

一人のリングスタッフの人がリングのエプロンに上がります。
そして、次の瞬間にハヤブサ選手が入場時に行う、トップロープを開脚してのリングインをいとも簡単にやっていました。
高校1年生の淳一少年は度肝を抜かし、隣にいた妹に、

淳一「今の見た!?あの人、ハヤブサと同じように開脚してリングインしたよ!!
スゲー!!」

この“開脚リングイン”を見せた
リングスタッフの方は、後にプロレスラーになります。
現在でも現役で活躍するプロレスラーで、
仲良くさせていただいています。

続きが気になると思いますが今日のブログはここまでです。

明日のブログで必ず書きます!!

お楽しみに。